また、ジャニーさんの机の上には、常に台本や脚本などが積まれ、ジュニアたちの写真も並べられていた。後になって分かったことだが、ジュニアたちの写真はグループの編成を構想するために使っていたようだ。写真を並べてグループの結成にふさわしいビジョンを机上で描いていたのだろう。

 ただ、ジャニーさんは好き嫌いがハッキリしていることでも有名だった。好きなものはとことん推すが、嫌いになったら存在すら認識しない「白黒のスペシャリスト」でもある。幼き僕らもそれは理解でき、レッスンやリハーサルのときにも好きな子は踊れなくても前、嫌いな子には無視か酷いときには「ユー、来ちゃダメ!」という厳しい言葉もあった。単純明快で好かれる(認められる)=デビューできるのが、すべてはジャニーさんの意思で決まるだけにジャニーさんに気に入られることは重要だった。

 好き嫌いで決まることは多いとはいえ、これまで記したようにジャニーさんの僕たちタレントに対する熱意はあまりに大きく、ジャニーさんが多くの所属タレントに慕われていたゆえんだろう。

 だが、人気が出て稼げるようになると、勝手な行動に出るタレントも少なくないのが今の風潮だ。ジャニーさんからすれば、「親子」の感覚で、一生懸命育てた子が、活動休止や解散など、数年前から頻繁に起こる事態は辛かったにちがいない。

 SMAP解散騒動の際には「僕もこんな歳だから気持ちを理解してほしい」とメンバーたちに懇願したのも記憶に新しい。また、「東京オリンピックまでは元気でいたい」と話していたといい、倒れる直前まで大きな目標を掲げていたという。

2016年5月、都庁の第1本庁舎壁面に掲示された2020年東京五輪の新たな公式エンブレム「組市松紋」の大型パネル(山崎冬紘撮影)
2016年5月、都庁の第1本庁舎壁面に
掲示された2020年東京五輪の
新たな公式エンブレム「組市松紋」の
大型パネル(山崎冬紘撮影)
 自身の最期を悟っていたのか、「僕はもういないから」と東京五輪以降の予定には関与しておらず、すべて副社長の藤島ジュリー景子氏やスタッフに委ねていたといい、東京五輪への思い入れは計り知れない。自らが育て上げたタレントたちが、東京五輪という最高の舞台で演じるパフォーマンスを見届けたかったのだろう。それだけに、冒頭で記したように、せめてあと1年少々元気でいてもらいたかった。僕はこれだけが残念でならない。

 14歳の僕を抱きしめてくれた「優しきオジサン」は、いつしか日本を代表するスーパープロデューサーとなり、その名を歴史に刻む功績を無数に残して天に召された。偉人となった晩年は多くの反乱や裏切りに見舞われ、幸せだったかどうかは本人の気持ち次第だが、1千万人を超える人たちに幸せを提供してきたことはまちがいなく、ジャニーさんの功績は永遠に語り継がれるだろう。