企業では実績づくりのための、短期でも男性に育休を取らせる動きも目立つ。いや、少なくとも私が企業で人事をしていたころには社内外でこのような動きを目にしたものである。いかにも意識高い系育児論者、少子化対策論者の、自己目的のように追求してきたことの必然的結果にほかならない。

 意識改革、職場改革という意味では否定はしないが、偽善、茶番ではないか。この男性の育児休業の義務化が、このような欺瞞(ぎまん)に満ちた取り組みを加速するのなら、私は反対である。

 しかも、国や企業の制度としての育児休業と、労働者が求める「育児のための休み」は根本的に異なるのだ。現状の出産直後の育休だけで十分だと言えるのだろうか。

 さらには、休みを育児に関わるものだけの特権にしてはならない。子供や、パートナーがいない人を含め、中長期でキャリアを考え、休む期間を設定するべきである。

 なお、男性の育休取得については、キャリアの断絶を指摘する声もある。ただ、それはこれまでも女性がその壁を感じ続けてきたことである。仕事は休む期間があって当然という仕組みづくり、風土づくりが必要だ。

 ただ、それを実現するためには、そもそもの仕事の役割分担、量の見直しが必要だ。育児休業の義務化がそれを促すのならよいが、これをなしで議論すると「働き方改革」が労働強化につながったり、サービス残業、時短ハラスメントを誘発したりしていることと同じ結果となる。

 この手の議論は男性を仮想敵とした議論に仕立て上げられる。ただ、その論理こそが、男性の育児・家事への参加に対する「もやもや感」を醸成しているのではないか。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 このように、これからの日本人の働き方や休み方を根本的に考えずに、育児休業の義務化を叫ぶのは偽善である。欺瞞性、瞞着(まんちゃく)性に満ちた取り組みとなってしまう。現場感のない取り組みになってしまう。

 職場深部から、今後の働き方、休み方を考える闘いを、論争を巻き起こさなくてはならない。安易な育児休業義務化論に恭順せず、その欺瞞性、瞞着性、さらには反労働者性を暴き出し、男女の枠を超え、根本的・普遍的な矛盾を含むわが国の働き方、休み方について、非妥協的に議論しなくてはならないのだ。

 国民不在の議論に対して、団結した力で打ち倒す鬨(とき)の声を轟(とどろ)かせようではないか。わが国を労働者にとっての「地上の楽園」とするための、国民的議論を巻き起こせ。