関修(明治大法学部非常勤講師)

 帰宅途中、スマホをチェックするとジャニー喜多川氏逝去の報が。亡くなられた時間を見てがくぜんとした。7月9日午後4時47分とある。ちょうどその時間、筆者はある映像をゼミの学生たちと見ていたのだった。

 ミュージカル映画について学生が発表し、『レ・ミゼラブル』、『アナと雪の女王』といった平成生まれの学生にとってなじみ深い作品を分析した。それを受け、筆者はミュージカル映画には誰もが参照すべき先行する二作品があると教示した。一つは『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)であり、そしてもう一つが『ウエスト・サイド物語』(1961年)である。

 そして、まさにジャニー氏が天に召された時間、筆者は学生たちと『ウエスト・サイド物語』のあの「プロローグ」を見ていたのだった。ジョージ・チャッキリスらの躍る一挙手一投足、細かい手の動き一つまでがレナード・バーンスタインによって見事に音化されているのを学生たちも驚嘆の目で見ていた。そして、今から60年近く前、公開直後のこの同じ映像をジャニー氏は見に行き、ジャニーズを作ろうと決心したと言われている。作品内に登場する「ジェット団」や「シャーク団」が、ジャニー氏の手によって「光GENJI」、「SMAP」、「嵐」などへと変貌していったのだ。

 もちろん、ジャニー氏ご自身は「ミュージカル」というエンターテインメントのスタイルをこよなく愛され、病に倒れられるまでその創作意欲が衰えることはなかった。しかし、日本人にとってジャニー氏といえば、芸能界に「男性アイドル」という新たなジャンルを開拓し、「ジャニーズ帝国」と呼ばれる一大勢力を築き上げた人物として記憶に残ることだろう。

 もちろん、それまでも「御三家」といった絶大な人気を誇る男性芸能人は存在していた。しかし、ジャニー氏が世に問うたのは「少年たち」によるグループというスタイルだった。あの「ジェット団」らは早くも1969年、ジャニーズ創成期の4人組グループ「フォーリーブス」によってその名も『少年たち』というタイトルのミュージカルに生まれ変わり、上演された。今年の3月には50周年記念作品として映画化もされている。逝去に関する事務所発表で「子供たち」と表現されているのは、この原点から始まった「少年たち」に他ならない。
米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ)
米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ)
 では、この「少年たち」の特徴とは何か。それはまず、年齢的に「若い」ということだ。ただし、故西城秀樹氏もデビュー時17歳であったし、それは嵐のそれとさほど変わらない。そして、30歳後半となった今も「嵐」はある意味、「少年たち」であり続けている。