では、ジャニーズの「少年たち」が体現する世界に通じる「日本的なるもの」とは何か。それは「たち」の文化と言えよう。西洋の個人主義に立脚したグループはあくまで「個」の集団化に他ならない。切磋琢磨(せっさたくま)といえば聞こえは良いが、一方で常に競争にさらされ、弱肉強食の世界観と言える。これはまたK-POPにも通用し、練習生の中から生き残った者のみがデビューの日の目をみる。

 それに対し、ジャニーズのスターシステムは、ジュニアとして加入したその日からバックダンサーとはいえ舞台に立つことさえあり得る。ファンもまた、お気に入りのジュニアをいち早く見つけ、彼らが成長しデビューするのを願って一緒に応援して行くのだ。完成品を提供するK-POPに対し、育てるスタイルのアイドル。これはAKBなど女性アイドルでも行われている。

 また、確かにそうしたジュニアの中からジャニー氏はグループのメンバーを選抜することになるが、一概に人気順、成績順といったわけでない。あくまでそれぞれのグループのコンセプトにとって必要なメンバーを絶妙なバランスで選ぶのだ。

 年長、年少の世代間の縦のコントラストと年長組がちょっとヤンチャな年少組をいとおしく見守るのが魅力の「V6」、テレビ全盛時代、ドラマとバラエティーというそれぞれのジャンルに才能を開花させたメンバーを横断的に配置した「SMAP」、そして極め付きが、一人一人は抜きんでて突出しているわけでないが、5人揃ってグループとして活動するとその相乗効果は老若男女を問わず誰をも惹きつけるものがある日本の顔とも言うべき「嵐」。これこそまさに少年「たち」による「和」の力ではないだろうか。

 そして、その中で個人は決して集団に吸収されるわけでもなく、それぞれの個性をのびのびと発揮し、それがさらにまたグループの人気を高めることになる。個人主義でもなく、全体主義でもない。これまた、個性豊かなキャラクターが多々登場するも、つぶし合うことなく、互いが互いにその世界を豊かにしてゆく日本のアニメと共通しているのではないだろうか。