大日本帝国の構造を変える道へ


 徴兵、高級官僚への登用は大きな出来事ですが、大日本帝国のあり方自体を変える道を開いたのは衆院選挙区の設置でありました。

 この道は、数十人単位、いずれは百人を優に上回る数の外地選出議員が帝国議会を占めることを意味します。内地人化が進んだとしても、日本の政治が複数の民族によって運営されるようになっていったかもしれないのです。

 もう一つは、内地、外地の区別が消えていき、将来は総督府が廃止されたかもしれない、という点です。

 内地では当然、完全施行されていた明治憲法は、朝鮮や台湾では名目的施行にとどまっていました。経済や教育の水準、慣習、日本語の普及などが違いすぎるからで、無理もない面もあります。

 このため帝国議会が協賛して決める法律は、外地では一部しか適用されず、総督府が実情に応じて制令(朝鮮)や律令(台湾)という法令を発しました。これを「法域」問題と言います。

 法域が同じになれば統治上は内地と同じになるわけです。朝鮮や台湾を内地とあくまで異なる外地にとどめるのか、内地と同様にしていくのかということです。
京城では銀行の壁面に「日本精神発揚」「国民
精神総動員」「貯蓄報国」などの垂れ幕が懸け
られた(『朝鮮事情 昭和15年版』)

 敗戦直前の昭和20年に、日本は後者の道を選んだのです。松阪広政司法大臣は同3月20日の衆院の選挙法改正案の委員会で「法域」について「朝鮮、台湾から立法府に議員が出て法律を協賛するということになりますれば(略)法律は朝鮮、台湾にも施行せられるものと見なければなりませぬ」とし、運用上、例外を設けることはあっても、法律は外地でも原則施行すると表明しました。

 日本統治下最後の全羅南道知事を務めた八木信雄は著書『日本と韓国』で、内務省と朝鮮総督府の人事交流が始まっていたことを挙げ、「窮極的には総督政治を廃して」いく流れにあったという見方を示しています。

 朝鮮総督府は、斎藤實総督当時の昭和4年から6年にかけて、朝鮮に自治議会を置く案も検討していました。

 しかし、三・一事件後の大正8年の詔書で「一視同仁」という統治の大方針が明示され、これが内地化を目指すものと解されていたため、自治議会の案は日の目を見ませんでした。

 朝鮮統治は、教育や農業、工業の発展を進め、同時に日本語の普及や 創氏改名など内地化を促していきました。そして戦争が激しくなって、参政権を反対給付として促す効果をもつ徴兵が始まったのです。
        

ありえない「性奴隷」


 徴兵の数年前から朝鮮には志願兵制度がありましたし、当時の朝鮮に徴兵実現を求める声も上がっていました。そうであっても、十万単位の若者に軍事訓練を施し、武器を渡す徴兵は重大な選択です。日本の政府や総督府、軍が情勢の悪化した戦争末期に、朝鮮、台湾統治の安定度をどう見ていたかがわかると思います。

 ここまで読んでいただいた方の中には、「戦局は悪化し、国政参政権の付与は空手形だったのではないか」と思う人もいるかもしれません。けれども、史料や関係者の回想をみれば、しごく真剣に物事は進められていました。

 朝鮮をはじめとする日本の外地統治への評価は、いろいろな視点があって当然だと私は思います。ただ一つ、指摘したいのは、これらの統治への取り組みと、日本が20万人もの朝鮮人の女性を「性奴隷」として駆り立てたという荒唐無稽な話は、どうしても両立しないように思えるのです。


 さかきばら・さとし 昭和40年愛知県生まれ。専門は政治、安全保障。東大文学部国史学科卒業(近現代政治史専攻)。平成2年産経新聞社入社。政治畑の記者として、55年体制の幕引きをした宮沢喜一内閣以来の国政を取材。防衛や憲法改正のテーマに取り組み、産経新聞が平成25年に発表した憲法改正案「国民の憲法」要綱の起草作業に参加した。23年から2年間、防衛大学校総合安全保障研究科で、核軍備と日本の安全保障論の歴史的関係について専攻、卒業した。安全保障学修士。共著に『未来史閲覧』『同2』(産経新聞社)など。

  
関連記事
■ 半島国家の悲しき世界観
■ 多くの日本人が疑問に思うこと
■ 韓国人を理解する単語「ヤンバン」「恨(ハン)」「ジョン」