もちろん批判が殺到して身辺の危険もささやかれている津田氏が、多忙の中でこれに応じるはずもなく、そのうちに警察からの退去命令が出るなどして現場は混乱。そして、その混乱のなかで、どういうわけかM氏は掃除用のバケツの水を警察にかけるという行為をしてしまった。さらにあろうことか、それが「ガソリンである」などというジョークを飛ばしてしまったのである。

 この時、このバケツの中にあるものがガソリンではないというのは、そこに言わせたパフォーマー側も警察も警備も全員よく分かっているはずである。

 だが、何度も繰り返すように、折しも本当にガソリン缶による脅迫が行われ、その容疑者が逮捕された当日でもある。厳戒態勢ともいえる、あいちトリエンナーレの実行委員会に対して、いくら大して害はないパフォーマンスの類いだとしても、それはやはり迷惑このうえないだろう。

 ただでさえ、不審なものが入ってきて展示や関係者に危害を加えるようなことも、警察ともども警戒していたはずである。そうなると面倒なものは排除するのがよい。いわゆる微罪逮捕であり、公安警察の方々がよく使われる手口である。

 「ガソリンだ」と言うのがジョークだと誰もが分かっていても、水をかけてしまえば公務執行妨害で逮捕できる。これがあいちトリエンナーレをめぐる2番目の「ガソリン」逮捕事件の真相である。

 「現実が私たちのアートを乗り越えてしまった」

 逮捕されたM氏とともに「なごやトリエンナーレ」の実行委員であるA氏はこう語る。

 「私たちの前衛的なアートパフォーマンスが、現実に追いつかれて飲み込まれてしまった。表現の自由をテーマにしてその弾圧をひとつの芸術表現としようとしたのだが、さらにわれわれを上回る、本当の表現の自由の弾圧に飲み込まれてしまったということです」

 A氏も悩んでいる。本当の脅迫事件が起きてアート展が政治的な妨害にあっているという現実に対して、彼らのパフォーマンスが完全に食われてしまっていること、そして、その政治的情勢下で、今後、この「ガソリン事件」で逮捕者が出たことをどのようにして彼ら自身のアートとして完結させることができるか。

 それは、彼らが「アート」を粉砕する前に、日本中からの非難により、本当にアートが弾圧されてしまったからである。彼らは「アート」粉砕運動すらもアートとして完結させたかった。ところが、今の日本の「言論の自由」を批判する勢力はそれを先回りして、あいちトリエンナーレの展示会のひとつを粉砕してしまったのである。

 そうして、ゾンビのパフォーマンスをしていたのが、ホンモノのゾンビが出てきて、恐怖におののいた人間に一緒くたにされてまとめてショットガンで殺されてしまうという、どこかで見たスプラッター映画のような展開と相成ったのである。

 しかし、逮捕されたM氏は、このような心配を意に介さず、意気軒高(いきけんこう)である。彼が支援者に獄中から伝えたメッセージによると「私が起訴されれば、裁判所が『なごやトリエンナーレ』のメイン会場となるだろう」とのこと。裁判すらも「超芸術」として利用しようということだ。ここまでくると、あっぱれとしか言いようがないというのは、時節柄、不謹慎であろうか。
「表現の不自由展・その後」実施団体の抗議声明を受け、記者の質問に答える「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督の津田大介氏=2019年8月3日、名古屋市
「表現の不自由展・その後」実施団体の抗議声明を受け、記者の質問に答える「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督の津田大介氏=2019年8月3日、名古屋市
 今後の「なごやトリエンナーレ」について、前述のA氏は、あいちトリエンナーレに対する反アート闘争として今後も続けていくと語っている。ガソリン騒動の発端となった「騒音の夕べ」は次回の計画も進行中、さらには新しい企画として、地球の真の支配者と目されるヒト型爬虫類「レプティリアン」に対する排外ヘイトデモなども、実行委員会に持ち込まれているとのことだ。

 彼らの反アート闘争と超芸術の試みは、これからも続いていくのだろう。

【参考】