小田部雄次(静岡福祉大名誉教授)

 昭和天皇は皇太子時代の大正10(1921)年に欧州を訪問した。そのとき、第一次世界大戦の戦場であったベルギーのイープルやフランスのヴェルダンを視察した。

 イープルは第一次世界大戦で連合国軍とドイツとの間で長期の攻防戦が繰り返された地で、大規模な毒ガス戦が行われたことでも知られる。イープルを視察した昭和天皇は、イギリス国王のジョージ五世に「陛下の予に告げ給ひし如く『イープルの戦場の流血凄惨』」と打電している。

 また、ヴェルダン戦跡では、焼けただれた森や、谷を埋め尽くす真新しい墓標などを見て、「戦争というものは実に悲惨なものだ」との感想を述べた。昭和天皇は第一次世界大戦の戦跡の生々しさを自らの肌で感じたのであった。

 こうした体験のある昭和天皇は、協調外交を重視し、世界平和を願った。しかし、即位当初から、天皇の平和への理想をつき崩す事態が続く。

 中国大陸では、蒋介石軍による中国統一の動きが活発となり、大陸に既得権を持ち、多くの居留民を抱える日本は、大陸の軍事情勢に敏感になった。即位直後の昭和3(1928)年の第二次山東出兵にあたり、天皇は大元帥としてその成り行きを注視し、蒋介石率いる国民革命軍の北伐の進展や、それによる山東軍の退却、北方軍閥の衰勢などを鈴木壮六参謀総長から聞いた。

 そして、閣議で山東方面の在留邦人の生命財産保護のための臨時済南派遣隊を急ぎ出兵させることを決定したと、田中義一首相と鈴木参謀総長から伝えられた。

 当時、天皇は外交問題を武力で解決する道を望まず、軍部の一部からは「平和主義者」とみなされていた。そんな天皇でも、居留民保護のための軍隊派遣という閣議決定に反対することはできなかった。
1930年10月26日、神戸沖での海軍特別大演習で、お召し艦上から観艦式を見る昭和天皇
1930年10月26日、神戸沖での海軍特別大演習で、お召し艦上から観艦式を見る昭和天皇
 そもそも、自国民が戦渦に巻き込まれる事態を、国家元首で、大元帥である天皇が黙視することはできない。しかも天皇といえども、既に閣議で決定された事項を覆すのは難しかった。

 即位直後は、経済的混迷も深まっていた。日本の貧しい農村では娘の身売りが広がり、都市でも失業者が増えた。第一次世界大戦後の不況による昭和2年の金融恐慌、ニューヨークでの株の暴落に始まる昭和3年の世界恐慌などが背景にある。