倉山満(憲政史家、皇室史学者)

 時宜にかなっていない正論は、単なる愚論よりも質(たち)が悪い。あきれたニュースが飛び込んできた。

 なんと、靖国神社が昨年、「天皇陛下には8月15日に靖国神社に参拝してほしい」と宮内庁に正式に申し込み、断られたというのだ。多くの媒体が報じているが、誤報ならば靖国神社は即座に訂正の申し入れをし、否定すべきだ。

 仮に事実ならば、愚か者の所業としか言いようがない。「天皇陛下には8月15日に靖国神社に参拝してほしい」は保守商売の常套句だが、靖国神社までもがこの程度の愚論に与したとあらば、あきれかえる他ない。

 何が愚論なのか。三つの理由をあげる。

 第一は、靖国神社とは何かを分かっていないことである。そもそも靖国神社は、戊辰戦争の官軍の戦没者を祀るために創建された。それがやがて、日本国の戦いに尽くしてお亡くなりになられた方を祀る神社となった。言うまでもなく、靖国は大東亜戦争の戦没者だけを祀る神社ではない。たとえ、靖国に祀られている英霊の大半が、大東亜戦争の戦没者であっても、この本質は変わらない。

 よって、8月15日に特段の意味はないのだ。なぜ、天皇陛下が8月15日に靖国神社を参拝しなければならないのか? 先例はあるのか? いかなる理由に基づくのか? まさか、「天皇が8月15日に靖国に来ると、自分たちの気持ちがいい」ではあるまい。それこそ、天皇の政治利用だ。
靖国神社を参拝された昭和天皇=1975年11月21日 
靖国神社を参拝された昭和天皇=1975年11月21日 

 靖国神社は本来、国のために命を捧げた人に静かに感謝する場所である。政治に利用する場所ではない。では、誰が靖国を政治に利用したかを思い出さねばならない。この話は、意外と忘れられているか、そもそも知らない人が多いと思われるので、少し詳細に述べる。

 これが、第二の理由となる。話は、三木武夫内閣に遡(さかのぼ)る。

 三木武夫はニューライト(今で言うリベラル)を標榜しており、自民党では保守傍流。それどころか、本当に保守政治家かどうかを疑われていたほどだった。その三木が権謀術数の限りを尽くして、前任首相の田中角栄を失脚させ、総理の座を奪い取った(徳島代理戦争~金脈政変~椎名裁定)。昭和49年12月のことである。しかし、総裁選で多数の支持を集めての勝利ではない。政権基盤は不安定だった。

 当時の自民党五大派閥領袖は、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫、中曽根康弘の5人。このうち、明確な主流派は、当時自民党幹事長だった中曽根のみ。田中と大平は政権発足当初から、隙あらば倒閣を仕掛けかねない反主流派と目されていた。よって、どうしても福田の支持を必要としていた。

 ここで三木が利用した政策が二つある。一つは金権政治批判である。前任の田中が不透明すぎる錬金術を世間に批判されて退陣に追い込まれただけに、三木はことさら「クリーン」を利用した。田中は総理総裁の椅子を奪い取るのに大掛かりな買収を仕掛けたが、これに敗れた福田は怨念を抱いている。そもそも、三木と福田は田中内閣の閣僚でありながら、その金権体質を批判して大臣の辞表を叩きつけた仲だ。

 そしてもう一つが、靖国参拝である。

 福田の周りには、タカ派政治家が集まっていた。特に、若手議員が超派閥的に、「青嵐会」を結成し、党内を席巻していた。中心議員は、中川一郎、渡辺美智雄、石原慎太郎ら。青嵐会は「福田派別動隊」「福田親衛隊」と化していた。