この“米英経験論をも超えた理性主義の克服”という意味で、トランプ氏の“脱理性主義”と、福音派等の宗教保守思想とが、交錯するのではないか? そのような観点から本書では、思想史の一般的な考え方とは異なり、あえてトランプ流“脱理性主義”と、福音派等の宗教保守思想を、一括して「反理性」主義と表記したい。

 理系志望だった青年時代の私は、極めて理性主義的な人間であった。だが、大病をして医学(理性)的には解消できない後遺症と闘いながら生きて行かざるを得なくなり、そのため「反理性」主義と極めて良く似た考え方をするようになった。そうした境地に私をいざなったのは、三島由紀夫の文学であった。そのためか私は、米国の福音派等の宗教保守派にも、強い親近感を持っている。

 本書で、私がトランプ氏と彼を支持する福音派等の宗教保守派に関して、非常に肯定的な書き方をした理由も、そこにある。そしてトランプ政権が中東や南シナ海で戦争を仕掛けるタイミングと、それを予想するための考え方を提示したのも、米国福音派的な、そして芥川、太宰、三島的な「“世界終末”への希求」による部分が大きい。三島は、“自分の思想は、自分の死後50年後に実現する”と言い残した。三島の死から50年後とは、2020年に当たる。実を言うと、私が“2020年に中東か南シナ海で戦争が起こるのではないか?”と考えるのは、この言葉に触発されたからである。

 「明日、世界が滅びるとしても、私は今日、庭にリンゴの木を植える」という有名な諺がある。“世界終末”は、来るかもしれないし、来ないかもしれない。人間は、自分そして愛する家族や友人が、これからも最低限幸福に生きていくために、今日を生きるしかない。

 トランプ政権によって起こされるかもしれない中東や南シナ海における戦争を始めとする諸々の事態に直面した際、本書が少しでも多くの人々の被害軽減に役立つなら、それはそれで喜ばしい。

 しかし、本書の中で繰り返し触れたように、経済のグローバル化や人工知能の発達の強い副作用は、それと闘おうとするトランプ大統領の努力にもかかわらず、発症の時期を遅らせるだけで、人類社会に対し、重大な悪影響を及ぼして行くだろう。それは悲惨な結果に結びつく可能性が高い。
東京オリンピックのボクシングの見物に会場を訪れた三島由紀夫=1964年10月
東京オリンピックのボクシングの見物に会場を訪れた三島由紀夫=1964年10月
 つまりトランプ氏の行動にかかわらず、リセット――“世界の終末”は必ず起こる。人類が理性主義や物質世界から解放されて、「純粋精神」に満ちた世界へ立ち返るべき時期は、そう遠い未来ではない。その時における心構えを考える上で、本書が少しでも役に立つならば、これ以上の幸いはないと思う。