ところで、わが国ではなぜ今こうした事態が起きているのだろうか。

 2015年に東京都北区で聴覚障害者が議員に当選したところ、急遽議場に音声同時翻訳ソフトが導入された。障害者が議員になる可能性を想定して北区議会があらかじめ準備しておかなかったためだが、付け焼刃で対応しようとする状況は今の国会も同様である。

 合理的な配慮の範囲がどこまでかについて、法の定めも、政府の公式見解も、裁判例もない。法体系は整備しても、その実施に不可欠な合理的な配慮の範囲について規定していなかったわけだ。だから、障害者議員の国会登院中の介護費用をだれが持つかなどについて付け焼刃の議論が起きている。国際法も国内法も知らない論者が意見を発している恐れすら感じる。

 今、国会で進められている配慮は、米国の仮想事例に比べれば、ごくごく当たり前の対応である。障害を持つ国会議員がすべての審議に参加できるようにすることで莫大な費用がかかるわけではないし、実際に利用される。

 れいわの議員の介護費用について「参議院が負担するのは不平等だ」との主張もあるが、根底にあるのは「自分は健常者だ」という思い込みだろう。そもそも、自民党前幹事長の谷垣禎一氏のように、事故で脊髄を損傷して障害者になる可能性はすべての国会議員にある。自分が障害を負ったときに排除されても構わないか、それを考えてから発言すべきである。

 ただ、筆者は、れいわの議員2人を支持しているわけではない。なぜなら、彼らが特定枠という「抜け道」を通って議員になったのも事実で、選挙制度として欠陥が露呈した特定枠は直ちに廃止すべきだと考える。しかし、今の制度で当選した彼らが国会議員としての職務を全うするのを阻んではならない。

 当たり前だが、社会が考えるべきは議員向けの配慮だけではない。聴覚障害者が議会を傍聴しても、音声同時翻訳ソフトなり要約筆記がなければ、どんな審議が進んでいるか伝わらない。

 これは障害者の傍聴する権利を制限したことに他ならないのだが、どの議会も気づいていない。車いす利用者が傍聴しようとしたら傍聴席まで車いすで入れるか心配になるが、入場できると公式サイトに明記してある議会は少ない。突然出向いたら騒ぎになるかもしれないと思い、傍聴を遠慮しようと考える車いす利用者が出るかもしれない。これも傍聴権を制限するものだ。
参院本会議出席のため議場に入場するれいわ新選組の木村英子氏(左)と舩後靖彦氏=2019年8月、国会(春名中撮影)
参院本会議出席のため議場に入場するれいわ新選組の木村英子氏(左)と舩後靖彦氏=2019年8月、国会(春名中撮影)
 法体系、つまり「仏」の形は整えても現場での対応は放置されてきた。つまり、「魂」を入れてこなかったために今の問題が起きている。

 国会も地方議会も、障害を持つ議員の有無にかかわらず、対応を急ぐべきだ。東京都港区議会が聴覚障害者向けの対応を強化すると報じられたが、あらかじめ準備する方向に動き出した点は評価に値するだろう。

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