「歴史学でみれば侵略」?



 ──北岡氏は共同研究のあとで発表した一文で、次のように言っています。ちょっと長くなりますが、引用します。

「日本が侵略をしたのは明らかな事実だと考えている。これは共同研究の成果でもなんでもなく、以前から考えていることである(略)私だけではない。日本の歴史学者で日本が中国に侵略をしていないという人はほとんどいないと思う。

 一部に、侵略の定義が決まったのは比較的近年のことであり、それまでは侵略の範囲というのは明白ではなかったので、当時の日本の行為は侵略とはいえない、という人がいる。しかし、侵略の定義の決定に時間がかかったのは、侵略と被侵略の間に微妙な部分があり、その境界を埋めるのに時間がかかったからである。満州事変以後の日本の行動は、そのようなグレーゾーンの問題ではなく、いかなる定義になっても明らかに侵略と判断される事案である。それに国際法の議論がどうあろうが、歴史学としてみればこれは明らかに侵略なのである」

 このように彼は「歴史学でみれば侵略であることは明らかだ」と繰り返し言っています。

伊藤 歴史学的にみて侵略だというのはどういうことなのか。国際法的には定義はないが歴史学的には定義はあるのか。そんなわけはない。にもかかわらず、あると言い切る根拠はいったい何なのか。同じ研究者としてぜひ北岡君にご教示願いたい。

 東京裁判史観に侵された人はみんな「侵略」と言うんだ。「日本の歴史学者で日本が中国を侵略していないという人はほとんどいない」かどうかは別として、たしかに、東京裁判史観の影響というのはものすごく強いから、多くの学者があの戦争は「侵略」だったと言っているのはそのとおりです。左翼の学者は東京裁判全面支持だし。北岡君は東京裁判史観を受け入れているわけじゃないかもしれないけれど、学界に迎合するようになったのかな。座長として彼の名前が入ったちゃんとした日中共同研究で報告書を出し、しかも「侵略」という言葉を入れてしまったから、後に引けなくなっているのかもしれない。

 彼は「日本が侵略したところから出発している」「南京虐殺でも多くの中国人が日本軍によって殺害されたのは事実で、認めるところから入っていった」というようなことも書いていた。なぜ中国に義理立てするんでしょう。さっきも言ったように「侵略」は政治的な用語だから、絶対に認めてはいけないと言ったのに認めてしまって、それがいまになって重荷になっているんだ。

 第二次上海事変は中国側から仕掛けているし、秦郁彦氏が言っているように、日中戦争のきっかけになった盧溝橋事件も国民党軍から発砲したという可能性が高い。部隊にまぎれこんでいた共産党の人間が撃ったとも言われています。ソ連から見れば日本と中国が戦うのは好都合だったし、毛沢東にとっても国民党が日本と戦って弱体化してくれればそれに越したことはない。アメリカのルーズベルト政権も共産主義の影響が大きくて、大統領周辺にはコミュニストが多かったことが明らかになっている。共産主義の影が第二次世界大戦全体を被っているような気がしますね。

安倍談話への期待


伊藤
 結果として日本は負けたけれど、別に中国に負けたわけじゃない。決定的だったのは原爆投下とソ連の参戦です。中国は何の役割も果たさなかったかと言えばそうでもなくて、アメリカの武器援助によって日本にボディブローを打ち続け、ある程度のダメージを与えた。

 そういう流れを見ると、この前の戦争を「侵略国」に対する・正義の戦争・だなんて割り切れるわけがない。第一次大戦の時も勝ったほうは「正義」で負けたほうは「悪」になったけれど、構図がはっきりしなかった。それに対して、第二次世界大戦は、勝利国側は「民主主義対ファシズム」と決めつけた。では、民主主義とは何か。ソ連が民主主義国だとでもいうのでしょうか。

 ソ連は日本を降伏させるのに重要な役割を果たしたけれど、北朝鮮と満洲地区の日本軍を武装解除し、その武器を中共軍に渡した。それで中共軍は勢いづいて国民軍に勝利を収めた。

 日本は終戦間際にソ連を通しての和平を模索しました。近衛文麿が特使に任命されてモスクワに行くことになった。海軍から随行する予定だった高木惣吉の描いたプランを見ると、スターリンにアメリカとの仲介をしてもらい、日本が名誉ある降伏をする。その見返りとして、日本が大陸で持っていた権益はすべてソ連に渡す。講和条約が結ばれた暁には、日本とソ連で対英米軍事同盟を結ぶということになっている。

 近衛の側近だった細川護貞の『細川日記』を読むと、日本が共産主義になるのはしかたがないと多くの人が考えていたことがわかる。共産主義の恐ろしさを身に染みて感じてはいなかったんです。例の「近衛上奏文」で左翼分子がいかに国を誤らせたかをつづり、「これからもっとも憂うべきことは敗戦よりも敗戦に伴って起こるであろう共産革命に御座候」と書いた近衛周辺だけは、その恐ろしさがわかっていたと思います。

 最近話題になったフーバー大統領の回顧録には「日本との戦争のすべては戦争に入りたいという狂人(ルーズヴェルト)の欲望であった」という記述があります。日本を挑発して、最初の一発を撃たざるを得ない状況に追い込めば、アメリカは日本に対して宣戦布告できる。そうすれば三国同盟によってドイツもイタリアもアメリカに対して宣戦布告することになり、アメリカは大っぴらにヨーロッパ戦線に関与できる。さまざまな状況をみれば、それが真実だと思う。

 こういう複雑な全体の構造を見て、それでも北岡君は日本だけを「侵略国家」にしたいのか。日本を追い詰めてついに発砲せざるを得なくしたアメリカに対しても、日本は「侵略国家」だったのか。そう問いたいですね。

米議会の上下両院合同会議の演説に臨む安倍首相
=4月29日、ワシントン(共同)
 ──最後に、安倍談話にはどんな内容を期待されますか。

伊藤 前の戦争についてはサンフランシスコ講和条約ですでに決着がついています。韓国とは日韓基本条約を結んで多額の資金供与と融資を行い、それをもとに世界最貧国だった韓国の近代化が始まった。中国とは国交正常化を果たし、天安門事件で世界から制裁を受けているときには天皇が訪中して国際的な立場を回復させた。さらに多額のODAと技術的援助をしてやったおかげでいまや世界ナンバー2の経済大国になった。それがすべてです。

 だから、もう過去に触れる必要はないんじゃありませんか。そういうことを本当は北岡君が言うべきなんだ。七十年もたって、いまさら「申し訳ありません」でもない。まして「侵略」なんて曖昧な言葉は決して使うべきではない。

 過去への反省がないと中国・韓国あたりが言ってきたら、「村山談話」を引き継いでいると言っているんだからそれでいいじゃないか。歴史認識云々に対する反論は別にやればいい。談話は戦後のアジアはじめ世界に対する日本の貢献と未来の話をするべきです。ぜひそういうものにしていただきたい。

伊藤隆(いとう・たかし)
一九三二年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。同大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。専攻は日本近現代政治史。東京大学教授、亜細亜大学教授、埼玉大学教授、政策研究大学院大学教授を歴任。現在、東京大学名誉教授。主な著書に『日本の内と外』(中公文庫)、『昭和史をさぐる』(吉川弘文館)、『評伝 笹川良一』(中央公論新社)などがある。


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