私はゲイということをカミングアウトして秋田県で活動している政治家だが、多くのLGBT(性的少数者)も毎年都会へと出ていく。リベラル政党は近年LGBTに急接近し、政策にも取り入れ始めた。しかし、そこにも勘違いがある気がしてならない。

 リベラルは新自由主義に反対し、反グローバリズム、ダウンシフト(脱成長)、分散型社会、エコでスローなライフスタイルなどを価値として掲げる。それこそが弱者をも包摂(ほうせつ)する持続可能な共同体の姿だと理想を語る。だけどLGBTは、そうしたつながりが強すぎるローカルの「まなざし」に耐えられないから都市へと逃げていく。

 どんなにすばらしい哲学で運営される町であっても、共同体の絆のメリットを受け取れないLGBTにとってそこはディストピア(暗黒郷)でしかない。都会での生活がたとえ新自由主義的な「無関心という名の疎外」でも、視線のない世界の方がまだマシと感じられるのだ。

 去年数年ぶりに秋田県にゲイバーが誕生したニュースは、県内のゲイ当事者を喜ばせた。そしてなんと今年になってもう1軒でき、現在は合計2軒となった。秋田県には以前からゲイバーがなかったわけではない。できてはつぶれ、できてはつぶれの歴史を繰り返してきた。店がオープンしても顔を出せる客は限られており、最後には経営が行き詰まってしまうからだ。秋田のゲイは顔バレを極度に恐れる。なぜか?

 かつて秋田市の歓楽街、川反(かわばた)にあったゲイバーで私が実際に体験した話である。いきなり店のドアが勢いよく開けられ、びっくりした私たちが振り返ると、そこには酔っぱらったノンケ(異性愛者)中年サラリーマンが立っていた。

 その男は「○○ちゃん、いるか?」とニヤニヤしながら店内をなめ回すように見渡し、どんな人がゲイバーに集っているのかを確認した後、ドアをバタンと閉めて去っていった。

 秋田は東京とは違い、匿名的には生きられない社会だ。「ゲイバレ」してしまうことの厄介さを考えると、ゲイバーに人が集まらないのは合理的判断の結果と言えるのかもしれない。

 今年開店したゲイバーのママが嘆く。「ゲイのお客さんがね、身元が分からないように、公衆電話から電話をかけてくるのよ。店内の様子やどんな人が来ているのかを聞かれるわ。その人は店の階段の下まで来たみたいだけど、結局入ってこなかった。これが2019年の秋田の実態よ」
※写真はイメージです(GettyImages)
※写真はイメージです(GettyImages)
 9月16日、仙台市では宮城県として初めてのLGBTパレードが開催された。青森県、岩手県に続き東北では三番目となる。絆は「包摂と排除」という二つの機能を併せ持つ。これを機に、地域社会の絆の再点検が進むよう願ってやまない。