コンコンチキチン、コンチキチンと鐘の音を響かせながら優雅にゆったりと練り歩く祇園祭にはふさわしくない光景だが、大勢の人間が集まるとそういう不慮の事故が発生する可能性も高まる。

 そんな中に無防備で出るのだから、信長の肝っ玉も相当なものだ。もっとも、この大胆さが最後の最後に彼の命運を制してしまうのだが…。

 だが、この信長の丸腰での祭礼見物、実はもう一つ、切実な思いが秘められていたのかもしれない。町中で祭りを見物するだけなら武器を携行していても問題はないはずだからだ。

 建保(けんぽう)7(1219)年1月27日、鎌倉幕府3代将軍・源実朝は鶴岡八幡宮(はちまんぐう)参拝を狙われて暗殺されるのだが、このとき彼は本殿の手前の中門に太刀持ちの北条義時を留まらせた丸腰の状態だった(『愚管抄』)。普通に考えても、神様に参詣する際に刀を帯びたままというのは不適切だろう。時代が下って江戸時代になっても、日光東照宮では陽明門で刀を預けることが決まりだった。

 その意味では信長の行為も、祭りの見物というよりも、その祭りが捧げられる神への敬意と祈りがメインだったと言ってもよいだろう。

 実は、信長と祇園祭には、密接なつながりがある。祇園祭といえば山鉾(やまほこ)巡行、山鉾巡行といえば、鉾の中で最も古い歴史を持ち、先陣切って練り歩く「長刀鉾(なぎなたほこ)」だ。

 現代でも、鉾の竿(さお)の頂きには疫病や災厄をはらう大長刀(なぎなた)が立ち、多くの提灯(ちょうちん)がさげられて華やかな雰囲気を醸し出しているが、その提灯をよくご覧いただきたい。「五つ木瓜(もっこう)」の紋が入っている。これは信長の家紋、「織田木瓜」と呼ばれるものと同じだ。

 祇園祭は山鉾町と八坂神社の行事だが、その紋が五つ木瓜なのだ。当時、八坂神社の主祭神は牛頭天王(ごずてんのう)で、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一神とされていた。

 信長の先祖が神主を務めていた越前の織田劔(つるぎ)神社の主祭神も素戔嗚尊。素戔嗚尊を祭祀(さいし)する者が共有するのが、五つ木瓜というわけだ。
「五つ木瓜」の紋が入った祇園祭の提灯(左と右)=2019年7月、京都市中京区(永田直也撮影)
「五つ木瓜」の紋が入った祇園祭の提灯(左と右)=2019年7月、京都市中京区(永田直也撮影)
 そのうえ、この連載で何度も紹介したように信長自身も牛頭天王や素戔嗚尊に幼いころから親しみ、深い執着を持っている。那古野城の天王坊で学び、津島天王社の財力を背景とした信長だから、牛頭天王・素戔嗚尊というパワーワードに共鳴する。

 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の力をわが物とした神、水を支配する神。信長はこの祭礼と八坂神社を尊崇していた。長刀鉾の紋である「長」の一字も、信長が長刀鉾町内に与えた自筆書状の中にある「長」を用いたという伝承も残っている。