2019年10月14日 12:31 公開

エド・ゲント

思いがけない話、理解の深まる話、感動的な話――。BBC「ジャパン2020」では、2020年の東京オリンピック(五輪)およびパラリンピックを前に、日本各地のさまざまな話題をお届けします。

ガラスとコンクリートだらけの福岡市の中心部にある、なんの変哲もないオフィスビルの前。その一角にだけ、過ぎ去った時代が留まっている。

冷たい冬の空気を締め出すビニールシートをめくると、客同士が肩を寄せ合い、「屋台まみちゃん」のボロボロの木製ベンチに座っている。熱々の大鍋から立ち上るおでんの香りと、炭火焼き鳥の香りが入り交ざったおいしそうな匂いが、この狭い空間いっぱいに広がっている。

これは屋台。かつて日本中で一般的だった運搬式レストランだ。現在では日本の南西部にある福岡市で生き残っている。屋台はそれぞれ、1台の手押し車になる。店主は週6日、夜になると自分で指定場所まで引いて行き、店を広げる。

福岡市は屋台文化の最後の砦(とりで)だが、ここでもその数は着実に減少している。1960年代には400ほどあった屋台は、今では100以下にまで減ってしまった。日本の他の地域と同様に、地元行政は長年にわたり、屋台への取り締まりを重ねてきた。住民の迷惑となり、ごみ問題の原因となる、騒がしくてみっともないという理由で。

しかし、この独特な料理の伝統について、観光客の認識が日本内外で変わり始めている。高島宗一郎市長は屋台を応援する方針を打ち出し、2016年には数十年ぶりに新規の営業許可が認められた。そして、インスタグラムやグルメ・ブログで情報が広がり、「屋台」の可能性に画期的な工夫が加えられることで、新しい世代の客が足を運ぶようになっている。

マミちゃん(56)は明らかに仕事を楽しんでいる。自分の名前を冠した屋台で、料理したり飲み物を出したりしながら、客と陽気におしゃべりしている。ところが、以前は必ずしもこうではなかったのだという。まみちゃんと31歳の息子と一緒に働く夫は、妻に相談なしに屋台を購入した。当時まだ23歳だったまみちゃんは、手伝うしかほかにどうしようもなかった。

屋台の経営はきつい仕事だ。ほとんどが午後6時に開店し、日付が変わった午前1時まで営業する。閉店後は屋台の掃除や片付けをして、専用の駐車場まで運ぶ必要がある。開店までの時間はたいてい、食事の仕込みで大忙しだ。

「始めた頃は、子供を育てるために稼ぎたい一心だったので、屋台自体は好きじゃなかったです」と、マミちゃんは言う。「私と同い年の若い子たちはみんなすごくおしゃれをして遊びまわっていたから、『なんで自分だけこんなことを』と不満だった」。

しかし、マミちゃんは時間と共に、仕事を誇りに思うようになった。そして、屋台を通じて触れてきた人間の素晴らしい多様性を大事に思うようになった。

「色々な外国から来た人を含めて、多くの人に会うことができます。たくさんの国に行ったみたいな気分になれるから、自分であちこちに旅行しなくても済む」

屋台精神

私たちが食事をしていると、マミちゃんは3人の客を見送るために立ち上がった。東京から来た若い男性と大阪から来た若い女性2人は、一緒にビールやラーメンを囲み、すぐに打ち解けた。これから一緒に夜の街に出かけるという。

「これが屋台精神です」。この日、私のガイド兼通訳をしてくれたモリ・トシヒロさんはこう言う。「福岡の親しみやすさが、客にも伝わるんです」。

屋台は人付き合いにおける潤滑油の役割を果たしてくれると、誰もが口をそろえる。堅苦しい日本の社会の決まりごとから逃れて、ほっと一息つける場所だと。こういった狭い空間にぎゅうぎゅう詰めになり、自由にビールや焼酎を飲めば、リラックスできて、打ち解けられるのだそうだ。

「屋台まるよし」を切り盛りする阿部英路さん(49)は、「屋台の店主だけでなく、客同士とのも交流も、屋台の魅力です」と話す。「もちろんお酒や食事だけが目当てのお客さんも多いけど、交流するのが好きな人も多い」。

屋台の衰退

屋台は日本社会の大事な一部に思える。それほど大事なものが、なぜ日本からほとんど姿を消してしまったのか。阿部さんによると、理由には諸説ある。第2次世界大戦後にアメリカが屋台の閉鎖を命じたというものや、天皇の戦後巡幸にあわせて役人が街をきれいにしようとしたというもの。はたまた町中を走る車のが増えたことによって屋台が追いやられてしまったというものなど、様々だ。

福岡で屋台が生き残っている要因は、主に屋台の営業者がすばやく組織を設立したことにあるとされる。しかし、その福岡でも屋台は取り締まりを受けてきた。1995年には県議会が屋台営業の新規参入を原則認めない「原則一代限り」の方針が示され、市は2000年に「屋台指導要綱」を定めた。市による認可制度が支持され、市の北側に位置する屋台通りも閉鎖に追い込まれた。

「屋台は格好良くない」を変える

しかし、規制だけのせいではないと、屋台「Telas & mico(テラス・アンド・ミコー)」を経営する久保田鎌介さん(40)は言う。捉え方の変化もまた、屋台の減少の要因だという。とりわけ若い世代の間では、屋台は高齢者や酔っ払ったビジネスマンのための場所だと考えられている。

「若者は、屋台はそれほど格好良くないと考えています。でも私は、若い世代に屋台がどういうものか見てもらいたい。考えが変わるかもしれないので」

ガストロパブ屋台

ターコイズブルーが目を引く、すっきりとしたミニマムなデザインの久保田さんの屋台は、ロンドンで人気のバラ・マーケットの方がしっくりきそうな見た目だ。ここには自家製のソーセージやマッシュポテト、ブルスケッタ、串焼きのタンドリーチキンなど、イギリスで近年流行中の料理自慢なパブ、いわゆるガストロパブのメニューが揃っている。

久保田さんが交換留学で英語を勉強するかたわら、料理の修業を英プリマスのフィッシュ・アンド・チップスの店から始めたと知れば、納得が行く。プリマスのあとはロンドンで数カ所、ミシュランの星付きレストランで修行した後、久保田さんは福岡に戻ってレストランをオープンした。数年後に福岡市が新規屋台の参入を受け入れていることを知り、ただちに自分もやろうと決心した。

「自分も昔、父親と一緒にしょっちゅう屋台に行ったので」と、久保田さんは振り返る。「だけど、昔ながらの屋台はやりたくなかった。新しいスタイルの屋台がやりたかったんです。屋台に対するお客さんの考え方を変えたくて」。

そのねらいは成功しているようだ。おしゃれな外見の30代男性は、私の反対側の席に座るやいなや、久保田さんと冗談を交わし始めた。この男性は常連客なのだという。男性は広告デザイナーで、この屋台の新鮮な外観に惹きつけられて以来、毎週のように来ているのだそうだ。

数分後には、同じようにおしゃれをした若い女性2人が加わった。2人はインスタグラムでこの屋台のことを知り、通うようになったという。もっと昔ながらの屋台に行くことはあるのか私が尋ねると、2人はきっぱりと行かないと答えた。

フレンチ屋台

固定概念を破っているのは、久保田さんだけではない。フランス人のレミ・グルナールさん(42)は、福岡初の外国人屋台オーナーで、フレンチ・ビストロで食べられるような料理を提供している。特にエスカルゴが人気だそうだ。

日本で暮らして18年になるグルナールさんは、以前は福岡でレストランとベーカリーを所有していたが、市が屋台の営業候補者を新しく公募した際、友人から申し込むよう薦められたという。

当初は週2日しか営業していなかった。しかし屋台の仕事が忙しくなると、ほかの事業をたたみ、屋台「レミさんち」に専念した。特に難しい決断ではなかったという。

「私は料理が大好きで、人に会うのが大好きです」と、グルナールさんは言う。屋台は、その大好きな2つのことを同時に叶えてくれる。

その陽気な人柄と、手ごろな価格のフランスのごちそうの組み合わせは日本で人気だ。日本では、フランス料理は一般的に高級なイメージなので。しかし、つきつめれば屋台で何より大事なのは料理ではないと、グルナールさんは言う。

「食べ物は重要ではありません。一番重要なのは、皆が福岡で楽しいと思えることです」。グルナールさんの母国語の表現で言えば、「ボノミー」、つまり「気さくで楽しい」ことが重要なのだという。

屋台の「気さくさ」

客もグルナールさんの考えに同感だ。福岡在住のスガワラ・タケハルさん(51)とカオリさん(50)は、かなり頻繁に屋台に通っているという。「簡単に仲良しになれるので」とカオリさんは言う。「たくさんの良い人と出会えて、心が温かくなります」。

1人で屋台を訪れるまでは、屋台を完全には理解できないとグルナールさんが言うので、私はその通りにした。どういう意味かは、すぐに分かった。

路地に足を踏み入れると、店主は私を温かく迎え入れ、すぐに飲み物を出してくれる。私の隣に座っていた若い女性グループが、若干の片言英語で会話を始めるまでにそれほど時間はかからない。女性たちは途切れることなく英語と日本語を交互に使い、店主からの質問を私のために訳す。

業界に新たな風

自治体からの支援拡充と新規屋台の参入は、四苦八苦する屋台業界に新たな風を吹き込んでいる。その一方で、こうした活性化によって地域社会の本質が失われ、あらゆる国際都市で目にするような、流行の期間限定屋台との区別がますますつかなくなるのではないかと思わずにはいられない。

マミちゃんによると、何年も前は、主に常連客やビジネスマンが店に来ていたが、最近では日本国内や、中国や韓国などの近隣諸国からの観光客が大部分を占めるようになった。「常連客が来ても、観光客だらけで座れない時もあるんです。すごい変化です」。

マミちゃんは知らない人と出会うのが大好きだ。しかし、屋台精神とは和やかな雰囲気だけでなく、人間関係を築くことでもあるという。生活が苦しいという客がいれば、マミちゃんは食事を無料で振舞うかもれないが、その客は手持ちがあるときに店に戻り、お金を落としていくだろう。新しい屋台の一部は、型にはまったレストランのようになりつつあると、マミちゃんは感じている。

福岡の歓楽街の中洲にいると、マミちゃんの言わんとするその意味は簡単に分かる。店側は、観光客を川沿いに並ぶ屋台へと甘い言葉で誘惑する。季節はずれにも関わらず、一番人気の店には行列ができている。特に客の回転率を高く保てれば、屋台で大もうけできると、何人かが教えてくれた。

時代のニーズに合わせる

久保田さんは、屋台の状況はイギリスのパブによく似ていると感じている。若い世代の意識が変わり、かつては常連客で毎晩満員だった昔ながらのパブは廃れたが、その一方でガストロパブの人気は増している。

そのガストロパブをヒントにしている久保田さんは、今の時代の客の好みにおいていかれないようにするには、福岡の屋台もイギリスのパブのようなアップデートが必要だと考えている。

福岡市が次に新規の開店申請を受け付ける時には、もっと目新しい提案を期待している。

「すべてを変える必要はないけど、新しい工夫も必要です。昔ながらの屋台が消滅するということでははないけど、新しい世代相手に成功するアイディアでないと」

屋台改革はゼロサムゲームではないと、グルナールさんは言う。日本人の食の好みは広いし、通常は一晩で数軒をはしごする。だからちょっとくらいの多様性があっても誰にも影響はないし、実際、いつもなら屋台に行こうとは思わないタイプの客を引き寄せることができるという。

「客は変わり、人も変わる。昔ながらの屋台はすごく大事だけど、今は私たちが屋台の次の伝統を作っているんです」

(英語記事 The amazing innovation of Japan's traditional street food