玉砕後も続く遊撃戦


井上 死力を尽くして米軍に相対した日本軍守備隊でしたが、11月24日に中川大佐が自決され、73日間の戦闘が終わりました。しかし、これは日本軍が全滅したということではありません。組織的抵抗は終わったが、個人がばらばらに戦い続ける遊撃戦が継続されたのです。

 ルバング島から帰還した小野田寛郎さん、グアムから帰還した横井庄一さん、それからモロタイ島から出てきた台湾出身のスニオンさんという方もいました。そして土田さんも、戦後ずっと戦っていらっしゃった。疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、通信設備が途絶し、今どういう状況であるのか、自分の部隊が消滅したのか、そうしたことを知るすべがなかったのです。

 土田さんは、中川大佐以下の皆さんが玉砕されたことは知っていましたか?

土田 まったく知りません。

井上 玉砕後のことをお話しいただけますか。

土田 中川大佐の自決後、日本兵が潜んでいた「海軍壕」という鍾乳洞で、激しい撃ち合いがあったらしいです。相当数の日本軍が壕にいると米軍には分かっていたのでしょうね。私も「海軍通信壕」から出撃した後、敗残兵としてしばらく「海軍壕」に潜んでいたのですが、三原という兵長と「もっといい所がありはしないか」と出ていきました。だから、この撃ち合いの話は最後を戦った者に後から聞いた話です。

 陸軍が約100名、海軍が20名ぐらいいて、海軍壕の一部に日本軍の食糧庫がありました。その横に1人ぐらいやっと通れる抜け道があることは聞いていた。そこを約3名が抜けて、何百名の敵がボンボン撃つのに銃で応戦して、そのすきに他の兵もどんどん壕から出て、そして散り散りばらばらになるわけです。そこが日本軍の敗残兵と米軍の最後の決戦だったんでしょうね。

米兵と顔を突き合わせる


井上 そんな中で、土田さんが米兵と30センチぐらいまで顔を突き合わせて、お互いが見つめ合って、そのまま後ずさりしたという非常に貴重な経験をされています。そのときの状況をお話しいただけますか。

土田 「海軍壕」を出て、新たな隠れ場所を探していたときです。直径20メートルぐらいの、大きなドーナッツ形のような形で、底が直径10メートルか14、5メートルぐらいある窪みを見つけた。降りてみたら斜面に横穴があったので、ここに三原兵長と2人隠れていたわけですよ。急な斜面になっていますから、敵は絶対に降りてはこない、大丈夫だという確信がありました。「ああ、あの横側の草がもうちょっとかぶって隠してくれていたら、見ても絶対分からないがなあ…」と思ってました。

 ある日、「ガサガサッ、ガサガサッ」という音がして、三原兵長が「土田、敵の声がする」と言うんですよ。「えぇ、ここら、来やせんですよ」「そうかな」。私は「大丈夫、大丈夫」と言ったんですが、やはり「ガサガサッ、ガサガサッ」と音がした。敵も急な斜面だからなにも持ってこられず、素手で降りてきたわけですよ。

 「土田、手榴弾ば投げんかい、早うー。土田、何しようるか、早う、手榴弾ば投げんかい!」と三原兵長は言うけど、上に投げてもコロコロと壕内に戻ってくるだけで、私らがやられるのがオチです。「パン、イチ、ニイ、サン」で投げないと、日本の手榴弾は爆発しません。「もう、せからしかね(うるさい)。この人、ええーい」と思って私は、穴から顔を上げたら、敵ものぞき込んでいた。顔と顔がふれあわんばかり(笑)。白人が真っ赤な顔して、鉄かぶとを持っとるでしょうが。お互い物も言わず、後ずさりして逃げた。

 「三原兵長、敵方に発見されました。急いでください」と言って2人で逃げたんですが、逃げるといっても、草が少ししか生えていない。いくらか逃げて、同じような大きな窪みを見つけ、その横にパッと2人で隠れた。小銃を持たず、手榴弾しか持っていませんでした。米兵5人くらいが追ってきて、ボトン、ボトンと、穴に何かを投げ込む。ウサギを狩るように、穴から出てきたなら撃ってやろうと思ったんでしょう。ドン、と転がったのを見て手榴弾かと思ったら、珊瑚礁の石でした。

 やつらはだんだん近づいてきて、私の1メートル半ぐらいのところに鉄カブトをかぶった歩哨が立った。もう一歩近寄れば私たちは見つかる。「もうダメ」だと思ったんですが、その一歩がこない。そして、助けの神が来たんですよ、そこに。

井上 助けの神?

土田 12時のサイレン。《おーい、もうお昼だぞー。飯だ飯だー》という話をしていた。英語だから分からないけど、そうだったろうと思うわけですよ(笑)。やつらは早速、一つの石の上で飯を食い始めた。そのすきに逃げたわけですよ(笑)。

井上 「九死に一生を得る」という言葉がございますけど、まさにその言葉とおりですね。

 今、手榴弾のお話がありました。米軍の手榴弾と日本軍の手榴弾は違うんです。米軍の手榴弾はピンを抜くんですね。ピンをプチンと抜いて、そのまま投擲すれば爆発します。ところが日本軍の手榴弾にはその先端に信管があり、鉄兜や石などで叩いて着火させる必要がありました。その動作のときの「カチン」といった音が出るので秘匿性に難がありました。また小銃もボルトアクション方式であったため弾込め時にボルト(遊底)を操作する「ガチャッ」という音で敵に感づかれることもあったといいます。

土田 もう一つ、話していいですか?

井上 もちろん、お願いします。

土田 夜、私と三原兵長が水を汲みに行ったときのことです。帰ろうとして道に出たときに突然、米軍の車のライトに照らされたんです。我々は辺り構わず飛び込んだんですが、敵はすぐ足元に伏せた私を越して、遠くばかりを見ているんです。月夜の晩で明るく、見通しがよかったからだと思います。私は敵の迷彩服を着て、手榴弾を持っていました。三原兵長は、大木の手前に隠れたようでした。「ババババッ」と銃声がして5~6秒したら、「土田、水くれー…」という三原兵長の声がした。そして、声がピタッと止まった。今でも、「最期は水が飲みたかったんだなあ」と思い出します。その隙に、私は24~25メートルばかり移動したのですが、5~6人の敵がライトをあちこち照らしながら《もう1人いたはずだ》という感じで探していました。

 これが真っ暗闇の闇夜だったら見つかってしまったけれど、月夜の晩でどこも明るいから、ライトで照らしても分からなかったんじゃないでしょうか。実際に私の方を照らしていたんですから。もちろんちょっとでも動いたら撃たれる。私は観念して「早く撃て、撃たんかい」と内心思っていましたが撃たない。「ババババッ」とあたりを撃つ音がして、「ハハハ」と笑いながらなにか言っていた。《いつまでも柳の下にドジョウはいねえや》。日本語でいうならそういう言葉じゃなかっただろうかと思いますね。

井上 究極の状態になると英語も分かりますからね(笑)。

 月夜の晩はすべてが見えますからライトもぼやけて逆に見えないことがある。野戦では、そういうことがあるんですね。また米軍は照明弾を連続してボンボン上げていきますが、ゆらゆらゆらゆらと揺れながら明かりを発して落ちていきますので、動いているものと動いていないものを見分けるのが難しいこともありました。

 土田さんはそういう兵器のメリット、デメリットを戦いの中で体で覚えて、激戦の中を生き抜かれたんでしょう。