天皇陛下が国民のために祈ってくださっているという場合、その内実はどのようなものか。以前、上皇后陛下が分かりやすく説明してくださっている。「陛下が…絶えずご自身の在り方を顧みられつつ、国民の叡知がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」(平成7年、お誕生日の文書回答)と。これは、国民がどれだけ無知怠慢でも天皇陛下がお祈りくださっているから、もうそれだけで大丈夫、というような呪(まじな)い的な祈りではない。全く違う。「責任」は全て国民にある。ただ、その国民の「判断」「志向」がより善きものとなるように、祈ってくださっているのだ。そこを勘違いしてはならない。

 天皇陛下は、皇太子として迎えられた最後のお誕生日の際の記者会見の中で、以下のようにお述べになった。

 「平成は、人々の生活様式や価値観が多様化した時代とも言えると思います。…今後は、この多様性を、各々が寛容の精神をもって受け入れ、お互いを高め合い、さらに発展させていくことが大切になっていくものと思います」(同31年)と。これは、かなり明らかな表現で示された、国民へのご期待だろう。

 現在、加速度的に進行しているグローバル化は、必ずしも社会にプラスの効果ばかりをもたらすとは限らない。むしろ、国内における経済格差の拡大や「移民」の増加によって、社会に深刻な分断を持ち込みかねない。そうなると、異質性を憎む非寛容な対立感情が激化する恐れがある。よほど有効な施策が講じられなければ、「国民統合」が不可逆的に困難になる可能性が見込まれる。

 言うまでもなく、これは専ら国政上の重大課題である。だから、天皇陛下や皇室の方々は一切、関与できない。まさに、国民の「叡知」と「意志」が問われるテーマだ。それに無為無策のまま、「国民統合」の確保をひたすら天皇陛下や皇室の方々に求めるような、本末転倒に陥ってはならない。このような点でも、皇室から期待される国民像とは何かを、自省すべきだろう。

 上皇陛下は「天皇陛下御在位三十年記念式典」のおことばの中で、次のように述べておられた。「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と。誠に頭が下がる謙虚さだ。天皇陛下はこのおことばにお応えになるべく、早速、上皇陛下のお気持ちをくみ取りながら、新しいなさりようもお見せくださっている。
天皇陛下の皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」に使う新米を納める行事「新穀供納(しんこくきょうのう)」=15日10時13分、皇居・東御苑(代表撮影)
天皇陛下の皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」に使う新米を納める行事「新穀供納(しんこくきょうのう)」=2019年10月15日、皇居・東御苑(代表撮影)
 天皇陛下は日本の歴史上、かつて例を見ないほど国際社会で目覚ましくご活躍いただける条件を備えておられる。特に、世界が直面する「水の問題」では既に国際的に高い評価を受けておられる。陛下の世界への偉大なご貢献を、国民は力を尽くしてお支えすべきだろう。

 天皇陛下には、どうか上皇陛下がなさったように、ご自身のお考えの通りに、新しい時代にふさわしい「新しい風」を吹かせていただきたい。健全な庶民はこぞってそれを歓迎するだろう。