だが、皇室には2600年の奥義がある。今の一世一元の制においても、必ず在世中の元号を贈り名にしなければならない理由はない。たとえば、「後平成天皇」のような贈り名も考えられるのだ。

 安倍内閣最大の新儀は、「上皇后」の尊号である。譲位がなされたとき、天皇陛下の尊号は上皇となる。「太上天皇」の略称だ。同じく、皇后陛下の尊号は皇太后。略称は太后である。ところが、安倍内閣は「皇太后には未亡人のイメージが付きまとう」などとわけの分からないことを言いながら、「上皇后」の新儀を押し付けた。

 ちなみに法律上は、ご丁寧に「皇太后の例に倣(なら)う」と書いてある。ならば、なおさら太后で何が悪いのかと疑問だ。

 私は一度も「上皇后」の用語を使ったことがない。必ず「太后」を使う。正式な法律用語など知ったことではない。長い皇室の歴史を無視した、無知な安倍内閣が決めた法律などに縛られる必要はない。法律は人の心までは縛れないし、縛ってはならない。

 だから私は勝手に、「太后陛下」とお呼びしている。ついでに言うと、「玉音放送」を宮内庁は「ビデオメッセージ」などと呼んでいるが、知ったことではない。

 さて、秋の臨時国会で政府は、皇室典範に手を付けると思われてきた。安倍内閣は11月に史上最長の内閣になろうとするが、絶望的なまでに何の実績もない。先の参院選で「民主党の悪夢」を絶叫し、国民を脅していた。それしか言うことがないほど、何もしていないと自白しているということだ。

 拉致被害者は返ってくるどころか北朝鮮に相手にされていないし、北方領土問題では交渉すればするほど過去の言質までロシアにひっくり返されている惨状だ。憲法改正も、3年も衆参両院で3分の2の議席を持ちながら、「創価学会」を支持母体とする公明党が怖くて着手すらできなかった。

 このように、「なんでもいいからレガシーがほしい」「何もしなかった首相と呼ばれたくない」という衝動に駆られている安倍首相ならば、皇室典範の改正―すなわち、旧皇族の皇籍復帰―を行うかと思ったが、ここでも腰砕けだった。

 読者諸氏は、日本の状況が絶望的と思われただろうか。実は違う。ここまで並べた事実こそが、希望の根拠なのだ。

 安倍首相が政権に返り咲いたとき、保守層は期待した。少なくとも皇室のことを理解しているだろうと。その安倍内閣でここまでやられた。皇室を蔑(ないがし)ろにする勢力と戦うのが怖く、その走狗と化している。だが、そこまでだ。

 その証拠に、女性宮家や女帝容認論が阻止されている。女系論など、提案する余地がない。腐っても、現職総理大臣なのだ。拒否権はある。総理大臣が「絶対に嫌だ」と拒否すれば、女性宮家や女帝は通らない。

 ここで考えよう。われわれのような皇室の伝統を守ろうとする勢力と破壊しようとする勢力、どちらが有利か。この問題では、われわれの方が有利なのである。
「即位礼正殿の儀」で使われる「高御座」(左)と「御帳台」=2018年4月、京都御所・紫宸殿
「即位礼正殿の儀」で使われる「高御座」(左)と「御帳台」=2018年4月、京都御所・紫宸殿
 思い出してもみよ、新帝践祚の前後から、猛烈な秋篠宮家バッシングが行われた。さらに、アンケートでは、「女帝」「女系」への賛成が圧倒的多数を占めた。もちろん、これは女帝と女系の区別もつかない人々へのアンケートであり、マスコミの誘導尋問である。何より、陛下のお言葉に基づいた議論ではない。