さて、本稿は予想コラムではないので、ここからは、私自身の天皇賞・秋の思い出を振り返りながら、「天皇賞とは何か」を考えてみたい。今回も含め、現在私たちが目にしている天皇賞は、過去の天皇賞ではない。これほど、時代によって性格を変えたGIは珍しい。

 私が今も鮮やかに思い出す天皇賞は、1971年、6歳(旧年齢表記、現5歳)牝馬ながら名だたる牡馬たちを蹴散らして勝ったトウメイである。「牝馬は天皇賞を勝てない」と言われていた時代の話だ。なにしろ、当時の秋の天皇賞は、春と同じ3200メートルという長距離戦であり、牝馬には勝ち切るスタミナはないと思われていたからだ。しかも、トウメイは小柄で「マイル(約1600メートル)の女王」と呼ばれていた。

 しかし、トウメイはやってのけてしまった。日本ダービー馬ダイシンボルガード、菊花賞馬アカネテンリュウを差し切ったのだ。この勝利に、当時「競馬の神様」と呼ばれた評論家の大川慶次郎氏は「トウメイはオールマイティーだった」と述べて脱帽した。

 続いて、今もこの目に鮮明に残るのは、80年のプリテイキャストの大逃げだ。プリテイキャストも6歳牝馬で、惨敗を繰り返していたので、全く人気はなかった。

 ところが、柴田政人騎手を背に逃げに逃げた。向正面では後続に約100メートル以上の差を付けたので、誰もがこれは持たないだろうと思った。人気のカツラノハイセイコ、ホウヨウボーイなどの牡馬が必ず差してくるだろうと思った。しかし、直線を向いても何も来ず、なんと2着のメジロファントムに7馬身差をつけて優勝した。

 私は後に、予想紙『日刊競馬』の評論家、柏木集保氏と知己になるが、このとき、彼だけが「展開次第で逃げる可能性大」とプリテイキャストに本命印を打っていた。この予想で、彼は一躍予想界のスターとなった。

 このように、天皇賞は古馬による長距離戦であり、しかも、1度勝った馬はその後出走できない「勝ち抜け戦」だった。天皇賞は、天皇から盾が下賜されるのだから、その名誉は一度だけとされていたのである。

 しかし、81年に国際招待競走のJCが創設され、古馬の競走体系が変わるともに、天皇賞・秋は中距離の2000メートルに短縮された。これによって性格は大きく変わり、JCに向かう古馬のトライアル戦、また、古馬の中距離チャンピオン決定戦に位置付けられた。
第82回天皇賞・秋、歴史的大逃げを演じ、7馬身差で圧勝したプリテイキャスト(柴田政人騎手)。左から2頭目は2着のメジロファントム=1980年11月23日、東京競馬場
第82回天皇賞・秋、歴史的大逃げを演じ、7馬身差で圧勝したプリテイキャスト(柴田政人騎手)。左から2頭目は2着のメジロファントム=1980年11月23日、東京競馬場
 また、勝ち抜き制も廃止され、87年からは4歳馬(現3歳馬)も出走できるようになった。84年、距離変更後の最初の勝ち馬は、前年の三冠馬ミスターシービーである。

 中距離になり、スピード競走になった天皇賞で、私が衝撃を受けたのは、85年の天皇賞で、ミスターシービーに次いで三冠馬となった本命になったシンボリルドルフを、根本康弘騎手騎乗のギャロップダイナが差し切ったことである。ギャロップダイナはまだ条件馬で全くの人気薄(13番人気)で、単勝8820円は当時としての天皇賞最高配当となった。