なお、北朝鮮は国連海洋法条約を批准しておらず(米国も同様に批准していない)、そもそもわが国のEEZを認めていません。その上、わが国との間には国交がなく、日中や日韓のように漁業などに関する協定を結んでいないため、細かい話をすると国際法上ややこしいのですが、本稿は厳密な法律論を述べることを目的としておりませんので、世界中で160カ国以上が締結している国連海洋法条約をベースにわが国の立場で話を進めていきます。

 今回のケースは漁船が沈没してしまったため、おそらく違法操業に関する決定的な物的証拠を押さえられていないと思われます。たとえ漁船が沈没していても、映像などの証拠があれば法令上は検挙することは可能なのですが、有罪率99%を誇る完璧主義なわが国の検察はそれだけでは、なかなか起訴してくれません。ですから実務上、このようなケースにおいて違法操業の容疑で検挙することは難しいので、考えられるのはEEZ漁業法の

第十五条の二 漁業監督官は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、漁場、船舶、事業場、事務所、倉庫等に立ち入り、その状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査し、又は関係者に対し質問をすることができる。

第十八条の二 第十五条の二第一項の規定による漁業監督官の検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、又はその質問に対し答弁をせず、若しくは虚偽の陳述をした者は、三百万円以下の罰金に処する。

 の罰条です。北朝鮮漁船は水産庁の船に自ら体当たりしてきたので、漁業監督官の検査を拒み、妨げ、もしくは忌避した可能性が高いのですが、問題は漁業監督官に検査を行う意思があったのか、あったとすれば、その意思を相手に明確に伝えていたのかが争点になり、かつ、それが映像などで記録されていなければ、同様の理由で検挙することは難しいです。

 また、物理的に60人もの人間(北朝鮮は徴兵制なのでほぼ軍隊経験者であり、どのような武器を隠し持っているかも分からず、しかも衛生環境が悪いので、どのような感染症に罹患(りかん)しているかも分からない)を、狭い船内に確保することは、相当のリスクを負います。

 さらに、日本に入国させるとなると法務省入国管理局(入管)、検疫、税関などの手続き、拘束すれば食と住の手当てだけではなく監視する人員、嫌疑不十分となれば帰りの飛行機の手配など、手間のかかることばかりです。それだけではなく、取り調べなどの捜査に、ただでさえ足りない人員や船舶を割かれるため通常業務に支障が出るだけでなく、その穴を突かれ、結果的に違法操業が増える可能性もあります。
漁業取締船「おおくに」船首下部の突起部分を調べる第9管区海上保安本部の職員=2019年10月8日、新潟港
漁業取締船「おおくに」船首下部の突起部分を調べる第9管区海上保安本部の職員=2019年10月8日、新潟港
 リーズナブルに考えると、その場で「無罪放免」するのが一番ですから、今回、北朝鮮漁船の乗組員を、その場で帰してしまったことは、ある意味では正しいと言えます。しかし、司法手続きを費用対効果だけで考えれば治安が保たれません。今回、北朝鮮漁船はわが国の公船である水産庁の取締船に対して故意に体当たりしてきたのですから、わが国の主権に対する明白な挑戦と真摯(しんし)に受け止め、厳正な対応をとらねばなりませんでした。