「大嘗祭で完全な天皇になる」という説が学術の分野にまで広まる原動力となったのは、柳田とならぶ民俗学の巨頭、折口信夫(しのぶ)が昭和3年に世に問うた「真床襲衾」(まどこおふすま)論であろう(「襲衾」は「追衾」「覆衾」との表記もある)。折口の『大嘗祭の本義』などによれば、「日本書紀」には天照大神の孫ニニギノミコトが真床追衾にくるまれて天孫降臨したと記されおり、大嘗祭では正殿の神座に設けられる寝具(御衾、おふすま)に新帝がお入りになることで、歴代不変の天皇霊をお身体に入れられて完全な天皇位を得るという秘儀が行われるという。

 また、ニニギノミコトの子で、山幸彦(やまさちひこ)として知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫(とよたまひめ)の間に子(神武天皇の父親)が生まれたときにも真床追衾で包んだと伝えられている。真床追衾が天津神(あまつかみ、天照大神をはじめ高天原にいた神々)直系の象徴とされることも折口の〝仮説〟を補強し、折口説は大嘗祭研究に相当な影響力をもったようだ。

 しかし、神道学者であり國學院大學神道文化学部名誉教授の岡田莊司氏が、折口説を明確に否定している通り、真床覆衾にかかわる神座での所作が記された文献史料は皆無である。折口自身も言明していたように、あくまで〝仮説〟だと言うほかない。

 やはり大嘗祭の本旨は、天皇自らの親祭(しんさい)で、神膳(しんぜん)の御供進(ごきょうしん)と共食が行われることにあるだろう。大嘗祭で完全な天皇となるのではなく、即位の礼で皇位を継承したことを内外に宣明した正式な天皇が執り行う最も重要な祭礼ということである。

 剣璽等承継の儀や即位礼正殿の儀が国事行為とされているのに対し、大嘗祭は皇室行事として扱われる。「皇室の私的な行事」ということではなく、「皇室の公的な行事」という位置づけである。憲法に定められる国事行為とは内閣の助言と承認を要するが、皇室の伝統祭祀である大嘗祭はその性質上、内閣が関与するものではないからだ。

 大嘗祭への国費支出について日本国憲法の政教分離原則の観点から違憲であるという意見もある。秋篠宮殿下も昨年のお誕生日に際してのおことばで、憲法との関係で宗教色の強い大嘗祭は天皇及び皇族の日常の費用などに充当する内廷費で行うべきではないかというご意見を示された。平成の大嘗祭をめぐって憲法訴訟が起こされたことに配慮なされたのかもしれない。

 しかし、大嘗祭に関する違憲訴訟はすべて退けられ、政教分離には反しないというのが司法の確定判断である。その判断基準となったのが昭和52年の津地鎮祭(つじちんさい)訴訟だ。最高裁判所は「政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ」て政教分離原則との適合性が判断されるとしている。いわゆる「目的効果基準」である。そして地鎮祭については「社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なもの」という判断を示した。

 最高裁の「国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではない」との解釈は重要だ。国際常識でも政教分離原則とは、国家(政府)と教会(宗教団体)の分離の原則のことをいう。国家が特定の宗教団体に利するようなこと、あるいは圧力をかけるようなことを禁じることが目的にある。
平成の大嘗祭に臨まれる上皇さま=1990(平成2)年11月22日、皇居・東御苑
平成の大嘗祭に臨まれる上皇さま=1990(平成2)年11月22日、皇居・東御苑
 例えば宗教法人はお布施など宗教活動にともなう収入や境内建物などに関して非課税とされているが、言い方を変えれば本来政府に入るべき収入を宗教法人に供与していることになる。特定の宗教に対して利益を供与すれば問題だが、公平の観点に基づく関与であれば政教分離の規定に反することはないということだ。

 大嘗祭を国費で斎行しても、特定の宗教団体を利することもなければ、不利益を与えることにもならない。天皇が国家や民のために祈る祭祀は、およそ2千年前から続くわが国の伝統儀礼そのものであり、憲法上の政教分離に反することにはならないという認識を、大嘗祭を前に国民全体で共有しておきたい。

※主な参考文献
『大嘗祭と古代の祭祀』(岡田荘司著)
『古事記(上)全訳注』(次田真幸著)
『日本書記(一)・(五)』(坂本太郎/井上光貞/家永三郎/大野晋校注)