この点は、不倫が発覚した芸能人が活動自粛になったケースと同じだ。ただ、テレビ業界が「このぐらいは大目に見ましょう」と済まそうとした感覚は、芸人やタレントという職業カテゴリーに良くも悪くもルーズなイメージを抱いていたともいえる。

 同様の問題を報道番組の司会者が起こしていたら「ルーズだったんです」の言葉で済まされたとは、テレビマンたちもさすがに思うはずはない。番組に大きな損失が出ることを分かっていても、これまで通りの出演継続を模索するのは相当難しかっただろう。

 報道番組に比べると、お笑い芸人は私生活の失敗も「芸のうち」と見られる傾向が強い。海外でも、ロック歌手やラッパーなどの素行の悪さをキャラクターのうちと見るところがあるため、暴行事件を起こして裁判を待つ身にもかかわらず、コンサートに出る者も珍しくない。

 米国では日本より仕事と私生活を区別する意識が強いから一様には比較できないが、今年亡くなったロック歌手の内田裕也が交際女性への強要容疑で逮捕(不起訴)されたとき「ロックに免じて勘弁してください」と言ったのも、本場のロッカー同様に破天荒な生きざまの一つと思ってほしかったということなのかもしれない。

 5月、千原兄弟の千原せいじの不倫が報じられた際は、本人がテレビ番組で事実を認めて謝罪したものの、バッシングも受けず大した騒動にもならなかった。不倫の影響についてイベントの会見で「ロケが1本なくなった程度」と言っていたが、同じ不倫騒動でも、矢口真里やベッキー、斉藤由貴らが謹慎に追い込まれたのとは正反対だった。

 文筆家の乙武洋匡や元「FUNKY MONKEY BABYS」の歌手、ファンキー加藤への批判が強まったのは、それまでの彼らの言動に高潔さや正義感があったことの反動だ。俳優の渡辺謙や原田龍二、田中哲司、元音楽プロデューサーの小室哲哉にも一定の批判が集まった。対して、ダウンタウンの浜田雅功や三遊亭円楽、木村祐一、千鳥の大悟らになると、いつの間にか笑い話になって終息してしまっていた。
「闇営業」問題などで記者会見し、謝罪する雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮=2019年7月20日
「闇営業」問題などで記者会見し、謝罪する雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮=2019年7月20日
 2年前、不倫疑惑で「文春砲」を食らった雨上がり決死隊の宮迫博之も「オフホワイト」発言で笑いを取ろうとしたのは、ある意味で「プロの芸人」だ。反社会的勢力との付き合いが問われた闇営業問題では、さすがにそれを貫き通せるわけもなく、活動自粛が続いている。今、著名人の多くが反社との関わりにかなり神経質になっている中で、芸人たちばかりが問題を甘く見ていたのは、日ごろの緩い空気が原因だろう。

 なにしろ、お笑い芸人には、伝統芸能にも息づく「女遊びも芸の肥やし」と言われるような、女性に対する「だらしなさ」も付き物だという価値観が昔からある。