本図では、社会の幸福が曲線I1とI2で示されている。I1よりもI2の方が、人々の「幸福」がより大きいとしよう。

 原点から離れれば離れるほど「幸福」は大きくなっており、曲線は原点に対して「おなか」が出た形状をしている。本来、このような「幸福」曲線は一種の等高線のように稠密(ちゅうみつ)に引かれているが、本稿では便宜的に2本だけにしている。

 もし「成長」だけと「環境」だけ、それぞれどちらか一つだけ追い求めると、両方を何らかの形で組み合わせて選んだ選択よりも「幸福」が低くなるのは明らかだろう。「成長」と「環境」はトレードオフの関係にはあるが、他方でどちらか一方しか選択しない姿勢では、人々の幸福は改善されないのである。
 ところで、グレタさんの「若さ」は、アイドル性を考えるときに重要なポイントとなる。必ずしも必要ではないが、それでも「若さ」は重要なのだ。

 それは「成長物語」を裏付けるポイントにもなるし、アイドルを批判からディフェンスする際にも有効に機能する。たとえ現時点の彼女の行動や発言が未熟であっても、「成長物語」を共有するコアなファンにとっては「まだまだやれる」という伸びしろになり、積極的な評価のポイントとなるのだ。この時点で、否定的な観点はほぼ徹底的に排除される。

 これは筆者の体験だが、ある日本のアイドルが新聞で憲法論を寄稿した際、排除に遭ったことがある。そもそも、アイドルや歌手が憲法について新聞で意見を表明することについての評価と、その発言内容に対する評価が別になるのは当然だろう。

 たまたま「憲法で財政を緊縮的に縛る」趣旨の意見だったので批判したが、コアなファンから理屈に合わない非難を受けた経験がある。要するに「偉そうに言うな」といった類いの発言だ。

 これと似たリアクションがグレタさんの発言を批判する人たちについてまわる。最近でも、脳科学者の茂木健一郎氏がツイッターで「なぜ、いい年をした男の人がグレタさんに反発」するのか、と批判していた。この類いの「弁護」や「反批判」はグレタ現象の名物ともなっている。

 もう一つ注目ポイントを挙げると、アイドルと「運営」の関係に類したものがうかがえる。もちろん、ここではグレタさんと背後にいると言われている「大人たち」の関係である。