前年、豪雨の被害で散々な目にあった信長としては、ぜひとも訪れておかなければならないところで、言うまでもなく彼は恵みの雨ではなく「今年は大雨を降らすな」と龍神と弁天にくぎを刺しに行ったというところだろう。ほぼ完成した安土城天主に何か被害があってはたまらないからだ。間もなく梅雨の時期が来ようとしている。

 こうして5月11日、信長は満を持して安土城天主に移る。新暦で言えば6月15日。まさに梅雨入りのタイミングだが、京では前日まで4日連続、奈良でも前々日まで3日連続で降っていた雨は、この日はやんでいたらしい(『兼見卿記』『多聞院日記』『言経卿記』)。

 翌12日には再び降雨となるので、信長の箕面滝参詣は効果てきめんだったというわけだ。正月早々にではなく、4カ月後のこの日を「吉日につき」と『信長公記』が記しているように縁起を考慮して実行された移徙(わたまし)は、無事に終わった。

 さて、それではめでたく信長の住まいとなった安土城の天主と城内の造りについて述べていこう。

 大手口を入ると、真っすぐに伸びた幅広い石段がある。現在でも復元された石段で複数見ることができるのが「転用石」だ。石仏を石材の代わりに流用したもので、信長はかつて足利義昭の二条御所修築でも石仏を流用したが、石段への流用が確認できるのは安土城のみとなっている。この石仏転用の石段はなかなか異様な光景だ。

 いや、石仏が異様なのではない。明智光秀が築いた福知山城の天主台の石積みには墓石(五輪塔)が転用され、大和郡山城のそれには天地逆さにされたお地蔵さんがはめ込まれている。

 他にも姫路城や有岡城など、例を挙げればキリがない。一般に石垣や石積みに使われた転用石には、城を呪力で防御するまじないの意味があったと言われている。

安土城大手道の石材として使われた石仏=滋賀県近江八幡市安土町(筆者撮影)
安土城大手道の石材として使われた石仏
=滋賀県近江八幡市安土町(筆者撮影)
 これに対して、安土城では人が足で踏みつける石段に流用されている点が特殊なのだ。他の武将が頼みにする仏教のアイテムである石仏・墓石の魔力。信長はそれに一切期待せず、足元に敷いて踏みつけるという手段を選んだ。それは、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の焼き討ちや本願寺との泥沼の戦争で彼が一貫してアピールして来たことなのだ。

 「自分に従わない者は、仏であっても討つ。自分にひれ伏す存在であることを思い知れ」

 信長は天主に登っていく石段で、まずその思想を具現化して見せたと解釈すべきだろう。