2019年12月17日 13:28 公開

広島市南区に残る被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」について、広島県が、所有する3棟のうち2棟を解体する方針を示した。大地震で倒壊する恐れがあるとしているが、一部地元住民からは建物を保存するよう反対の声が上がっている。

1913年に完成した「旧陸軍被服支廠」は、1945年の米国による原爆投下で倒壊を免れた。現存する4棟は鉄筋コンクリート造り・れんが張り。現在、広島県が3棟を所有しており、爆風で歪んだ鉄製の窓枠やドアがそのまま残されている。

もともとは軍服や軍靴の製造をする軍需工場だった。原爆が投下された直後は、仮設病院の役割も果たした。後に、広島大学の学生寮としても使用された。

震度6以上で倒壊の恐れ

2017年に行われた調査では、「旧陸軍被服支廠」は震度6以上の地震で倒壊の恐れがあると判明。建物は現在は使用されておらず、また一般に開放もされていない。

県は今月上旬、2棟を2022年までに解体する方針を明らかにした。

県が所有するもう1棟については、壁や屋根を改修して保存する。

地元住民からは保全求める声

15歳の時に、「旧陸軍被服支廠」で働いていたところ被爆した中西巌さん(89)は、「核兵器廃絶に役立つ施設になり得る」として、解体に反発している。

現在、市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」代表を務めている中西さんは毎日新聞に対し、「悲劇を後世に伝える歴史的な価値を考えれば、解体は到底受け入れられない。絶対に反対だ」と述べた。

今月7日、広島市の主催で、「旧陸軍被服支廠」を含む市内の被爆建物をめぐるツアーが行われた。

ツアーに参加した同市の主婦(69)は、「原爆の恐ろしさを伝える貴重な建物。実物を初めて見て、全棟を残してほしいと強く思った」と読売新聞に対し述べた。

広島の最も有名な被爆建物は、平和記念公園にある原爆ドームで、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されている。最大震度6弱に耐えられるよう、耐震補強工事が行われ、2016年に完了した。

史上初の原爆投下

第2次世界大戦末期の1945年5月にドイツが降伏した後も、日本はアジアで戦争を継続した。

アメリカの軍用機は同年8月6日、広島に史上初の原子爆弾を投下した。投下された原爆は戦時中に開発されたばかりのものだった。

広島市のほとんどが壊滅状態となった。爆心地から半径5キロメートル以内で倒壊を免れた建物は、昨年の時点でわずか85棟しか残っていない。

広島では原爆の影響で少なくとも14万人が死亡したとされ、被爆者はいまも原爆症に苦しんでいる。

アメリカ軍は、原爆投下によってアメリカ本土での犠牲者を出さずに戦争を早く終わらせられると考えていた。

その後も日本が降伏しなかったため、アメリカ軍は3日後の8月9日に2つめの原爆を長崎に投下した。

日本は6日後の8月15日に降伏し、第2次世界大戦が正式に終了した。

(英語記事 Hiroshima buildings that survived bomb to be razed