日本では前述した通り、目上の者に従順で、また完全な行為をすることを良しとする教育環境で育っていく。だから、親や教師の叱責は日常茶飯事である。

 大人になると今度は上司や客などから叱責を受け、社会に出ても叱られる環境から抜け出すことができない。私もノルウェーで日本人観光客のガイドをしていたときに、小さなミスを犯したことで添乗員から叱責され、非常に不愉快な思いをしたことがある。

 人間は不完全であり、多少の間違いを犯すことは普通であるはずだ。それなのに、日本人がなぜこれほどまでに完全さを求めるのか、不思議でならない。

 運動会などの組体操が事故多発で問題になっているのも、完全を求める日本人の意識が背後にあることが一因ではないだろうか。組体操が立派に成功すれば、保護者をはじめ、教育関係者などから多くの支持や称賛を受けられる。だが、子供たちに対する危険な行為の強制は続き、事故のリスクも一向に減らないだろう。

 ノルウェーでは、完全さを要求するのではなく、不完全さを受け入れられる土台がある。そのおかげで子供たちはゆとりを持ち、お互いの不完全さを受容しながら健やかに育っていくことができる。同時に、18歳未満の子供たちの人権を保障する国際児童基金(ユニセフ)の「子どもの権利条約」を重視するため、児童や生徒たちに対して、学校が危険な行為を強制することはない。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 ノルウェーでの例をいくつか挙げてみよう。ある小学校の教師に日本の道徳教材の話をしたところ、興味を持ってくれたので、同じ内容の教材をノルウェー語に訳して、ノルウェーの子供がどのように答えるか試してみることになった。教材に使った物語の概要は次の通りだ(子供の名前は仮に付けている)。

 小学校の児童2人が、買い物をしにバスで街に向かった。下車の際に子供の1人、「宏くん」がお金を忘れたことに気付く。友だちの「亮くん」に貸してと頼んだが、母親に貸してはいけないと言われているために、貸してもらえなかった。ところが運転手は、誰かに借りて絶対に支払わなければいけないといい、宏くんはパニックになって泣き出した。すると乗客の1人が近づき、忘れ物をした宏くんに怒りながらも支払いをしてくれた。バスを降りると、宏くんのポケットにお金が入っているのが見つかった。