文官が総理より偉い? 懲りずに安倍政権を中傷するメディア

『月刊正論』 2015年5月号 潮匡人

読了まで25分

「文官が自衛官を統制」がシビリアン・コントロール?


潮匡人(評論家・拓殖大学客員教授)

古舘、古賀の空虚な批判


 政府は3月6日、いわゆる文官統制の廃止を閣議決定した。“背広組”の文官(防衛官僚)と“制服組”の自衛官が、共に対等の立場で防衛大臣を補佐できるよう防衛省設置法を改正する。政府与党は「切れ目のない安全保障法制」についても協議を重ねているが、両者は別次元であり、閣議決定のプロセスも別途進んできた。だが、護憲派マスコミはお構いなし。今も十把一からげに報じている。このため論点が「文官統制の廃止」以外に拡散するが、予めご了承いただきたい。

 先月号の本誌「正論」で、ISIL(「イスラム国」)による邦人殺害を論じた(「敵はISより安倍政権!?」4月号)。先月に続き今回も「報道ステーション」(テレビ朝日系)にスタジオ生出演した古賀茂明(元経産官僚)には驚愕した(敬称略・以下同)。前回同様、中身はスカスカ。内容は幼稚、表現も拙い。期せずして同じ番組の、同一人物による、同趣旨のコメントを俎上に載せるが、目の敵にしているわけではない。彼に会ったこともないし、特段の興味もない。

 番組では、いわゆる文官統制の廃止が閣議決定された3月6日の夜、古舘伊知郎キャスターが「武力攻撃事態法」と大書された立て看板風のフリップを指さしながら「こういう局面にならないと、この『武力攻撃』はできないんだという縛りがある」と解説(?)した。ここからして間違い。

 法律の正式名称は「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」。その名のとおり「この法律は(中略)我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に資することを目的とする」(第1条)。善かれ悪しかれ「縛り」を定めた法律ではない(それは自衛隊法等)。「この『武力攻撃』はできないんだという縛り」云々も間違い。なぜならこの法律の「武力攻撃」とは「我が国に対する外部からの武力攻撃をいう」からである(第2条)。外部ではなく自衛隊のことが言いたいなら「武力行使」と表現せねばならない。

 古舘キャスターは続けて「周辺事態法」と大書されたフリップを指さし「これは朝鮮有事の際を見据えて、周辺であることが起きた場合に、ここまでは武力行使はできませんよという縛りがやはりあった。今後どう変わるのか。この2点に絞って今日は考えてみます」と番組を導いた。これも間違い。右同様、名実とも「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」であり「縛り」を定めたものではない。第2条で「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」と明記しており「ここまでは武力行使はできませんよ」という法律でもない。

 番組は「文官統制」廃止の閣議決定を取り上げ、古舘キャスターがこう導いた。

 「というように、これ以外も色々あるわけですけど、色々な項目や色々な文言がドンドン動いてきているわけですね。古賀さんは全体を見渡してらして、どんなご意見をお持ちですか」――以上のとおり、同日閣議決定された「文官統制廃止」と関係ない法律を取り上げ、事実と異なる解説を加えたあげく「全体を見渡して」いるらしい古賀茂明に論評を委ねたのである。案の定、古賀は「文官統制」に一言も触れることなく、こう安倍政権を揶揄した。

 「そうですね、安倍政権が始まってからですね。国家安全保障会議というのが出来ましたよね。それから特定秘密保護法っていうのが出来、それから武器輸出がほぼ全面解禁に近い形で解禁して、いまODAでも軍関係に使えるようにしようとかですね、ドンドンこう進んで、いま本丸の集団的自衛権の議論を細かく始めてるという感じなんですけど、なんか一個一個出てくるんですね。それぞれが非常に難しくて、言葉の定義の話になってきますね。常に。『なんかよく分かんないな』って思う人が多いと思うんですよ」

繰り返された「I am not Abe」


 よく分かっていないのは、古賀自身であろう。相変わらず、表現も拙い。

 「そこが、実はその、なんでしょう、もう変わっちゃってるんじゃないかっていう、日本っていう国が。そういう話があって、実はある総理経験者の奥様が(略)ある大使館の大使の奥様と話をしてて『日本はとってもいい国だったのにね』という会話があるらしいんですよ」と反証困難な「らしい話」を始め、前回同様こう「安倍責任論」を開陳した。


 アメリはテロに慣れている、日本は一番危ない国等々、看過できない暴言である。「そういう話をたくさん聞く」というが、事実なら友人関係や情報源を見直したほうがよい。ISIL対応を含め、安倍政権の外交・安全保障政策は世界中から支持ないし理解されている。例外はISILその他のテロ集団や一部の周辺諸国だけである。

 しかし、古賀は2月12日の施政方針演説を論拠(?)に、こう独断と偏見を続けた。

 「明治時代に富国強兵、殖産興業で欧米を見てですね(略)『あの時代は素晴らしかった。あの時代を思い出そうよ』というのが安倍さんの呼びかけなのかな、という風に理解したんです」「安倍さんは『そういう大国の中に日本も入れてくれ』ということをやりたいのかなっていうふうに見えちゃうんですね。でもそういう風に考えると、たしかに今やっていることは全部必要だよねと」――もはや妄想を通り越した病気である。

 「まあ、またこういうことを言うと、なんか官邸とか、そういうところから色々怒られちゃたりして、ご迷惑がかかったりすると思うんですけど、日本が目指すべき道は、安倍さんのように列強を目指す道なのか、それとも、いやそうじゃない、今までやってきた日本の平和大国としての(以下略)」

 「官邸とか、そういうところから色々怒られちゃたり」というのは、ISIL関連で「外務省は総理官邸に対し中東訪問自体を見直すよう進言していた」と報じた2月2日の放送のことを言っているのかもしれないが、政府は「怒った」のではなく、「事実無根」と抗議した。訂正も求めている。しかも、抗議したのは官邸ではなく外務省である(先月号拙稿)。なんであれ迷惑をかけた自覚があるなら、発言を慎むべきであろう。だが古賀は以下のとおり放言した。それも笑いながら。

 「ですから安倍さんの道がいいと言う人は『I am Abe』ですよ。だけど『全然違いますよ』と、『平和大国目指すんですよ』と言う人は、僕はこの間も言って、ものすごく怒られちゃったんですけど『I am not Abe』ということを世界に発信しないと。(略)もうちょっと手遅れに近いのかもしれないんですけど、(略)皆さんで議論してほしいと思います」

 ――等々、番組は7分40秒も古賀に独演させた。先月号と同じことを書く。「ご覧のとおり中身はスカスカ。表現も日本語として成立していない。(略)英語としても意味不明。あまりに幼稚すぎる」。ちなみに私は怒ってなどいない。ただただ呆れる。たぶんテレ朝も困っているのであろう。

日曜朝にTBSが放言、暴言


 民放中、テレビ朝日と並び護憲リベラルの双極をなすTBSは同夜どう報じたか。閣議決定された6日の「ニュース23」は「文官統制の廃止を容認する元背広組OB」として柳澤協二を「元防衛庁官房長」の肩書で起用。閣議決定に理解を示した柳澤のコメントだけを流した。その後VTRで「今後自衛官の発言力が増す可能性がある」とも指摘したが、スタジオ出演した藤原帰一(東大教授)が「シビリアン・コントロールの本来の趣旨から言えば」と原則論を語って閣議決定に理解を示し、イラク戦争を例に、実は本性的に戦争を嫌がる軍の背中を、逆に文民政治家が後押しするリスクを指摘、「そのほうがとても心配」ともコメントした。

 藤原はISILによる邦人殺害問題で2月2日の「ニュース23」に出演した際も、岸井成格キャスターの“安倍責任論”を「それを考えることは我々にとって一番大事なことなのか。(略)問題はあちら(ISIL)にあります」と釘を刺した。テロ対処に「力の行使」が避けられない現実も認めた。同じリベラル派でも、古賀茂明とは、知性と見識において雲泥の差がある。

 他方、4月8日朝のTBS「時事放談」では藤井裕久(元財務相)がこう発言した。

 「集団的自衛権そのものを許すべきじゃないと思いますが、周辺がありますね。周辺事態法をどうするとか、国連決議が要らないとか。これ集団的自衛権の延長線上だと思います。根っ子の一番悪いのは集団的自衛権。つまり完全な、平等の軍備を持つということ。それは(憲法が?)許してない」

 およそ意味不明だが、たぶん安倍批判なのであろう。事実、番組最後にも「安倍政策を是認してはダメだよ。日本の将来が危ない」と語った。(集団的であれ個別的であれ)自衛権は国際法上の自然権である。重要閣僚を務めた著名人が「そのものを許すべきじゃない」と明言するのは、世界でも日本だけである。それを司会者の東大教授(御厨貴)も止めない。隣の片山善博(元総務大臣)まで、安倍内閣が目指す掃海部隊の派遣を「いつか来た道」と批判した。いくら「放談」でも、度が過ぎる。脱力感を覚えるが、先に進もう。

 同じ8日朝、同じTBS系列で全国放送された「サンデーモーニング」が凄かった。

 「文官統制」を「文官(防衛官僚)を自衛官よりも上に位置づける考え方」と報道。その「根拠」として防衛省設置法第12条関連の政府答弁を紹介し「安倍政権の考え方は少し違うようです」「今後、自衛官の発言力が強まるおそれがあります」と報じた。自衛官の発言力が強まるのは悪いことなのか。

 続けて司会者(関口宏)が「色んな暴走を食い止めるために、色々ね、先人たちがつけてきた知恵が一個一個取り外されちゃって、簡単に(自衛隊を?)動かせるようになってますかね」と導くと、涌井雅之(造園家・東京都市大学教授)がこう放言した。

 「そうなんですね」「憲法で『内閣総理大臣並びにその他の国務大臣は文民を原則とする』と、こう書いてますね。それは何かというとやっぱり先の大戦の反省に基づいてるんですね。だから何重にもロックをかけて、軍事力を持ったいわゆる自衛隊、軍に歯止めをかける。ここだったんですけど、このブレーキをドンドン外してるという、非常に大きな問題ですね」

 すべて間違い。そもそも古賀茂明同様のど素人に語らせるセンスを疑う。バカバカしいが訂正しよう。憲法は「文民を原則とする」などと書いてない。正しくは「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)。原則規定ではなく、例外を許さない。なぜ「文民」なのか。「先の大戦の反省」ではなく、憲法制定過程で行われた、いわゆる芦田修正が原因である。9条の芦田修正により日本国は軍を保有できる余地が生まれたのだが、そこで一部の連合国(中ソ)が、シビリアン・コントロールを明記するよう求めた。その結果である。詳しくは関連拙著に委ねるが、短く説明しておこう。

文官は総理より偉いのか?


 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(憲法9条)のなら、日本国に軍人はいなくなる。国民はみな文民となる。ゆえに「文民でなければならない」と明記する必要などない。実際、芦田修正以前の案文に文民条項はなかった。それが右の経緯で明記された。涌井らは以上の経緯を知らない。涌井はシビリアン・コントロールをクラウゼヴィッツの『戦争論』で説明する珍説も披露した。無視して先に進もう。続けて岸井成格がこう発言した。

 「もう一つ重要な点は、総理大臣は最高指揮官なんですね。そうすると、軍人というのは命令に従う組織なんです。総理から言われたら、異を唱えるとか反対はできない。そういう組織なんです。それをチェックして『ちょっと待って下さい』と言えるのは文官しかいない。それを忘れてますよ」

「防衛省・自衛隊60周年記念航空観閲式」で栄誉礼を受ける
安倍首相=2014年10月26日、空自百里基地(鈴木健児撮影)
 これもすべて間違い。「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」(自衛隊法7条)が、「内閣を代表して」指揮監督するに過ぎず、自衛隊を防衛出動させるにも、閣議や国家安全保障会議を経なければならない。米国大統領のような名実ともの「最高指揮官」ではない(が、みな誤解しているので咎めない)。自衛官は「軍人」ではないが、もはや目を瞑る。許しがたいのは後段だ。

 自衛官は服従義務があるが、文官なら、総理の命令や指示を「チェックして『ちょっと待って下さい』と言える」らしい。

 岸井こそ重要な事実を忘れている。行政権は内閣に属する(憲法65条)。総理は内閣の首長である(同66条)。「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(内閣法6条)。岸井流に言えば、全省庁の「最高指揮官」になる。岸井が特別扱いする「文官」も、法的な身分は国家公務員。国家公務員法は「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(98条)と明記する。それを「チェック」し「ちょっと待って下さい」など、違法かつ不忠不遜な服務である。

 さらに岸井は安保法制で各種の「事態」が乱立している現状を「言葉の遊び」と揶揄しこう述べた。

 「五つぐらいあるんですよ。新事態、存立事態とか武力行使事態とか周辺事態とかね」「事態とは何かと言うと戦争なんです。戦時体制ってことなんです。武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとするんですよ」

 バカらしいが手短に訂正しておこう。岸井は「集団的自衛権 事態がどんどん増える」と題した3月7日付「毎日新聞」社説を読んだのであろう。聞きかじりの知識で知ったかぶりするから間違える。私は「言葉の遊び」とは思わないが、もはや客観的ないし事実面での間違いに絞り指摘する。

 まず岸井のいう「新事態」と「存立事態」は同じ概念であり、三つしか例示されていない。他方「五つぐらい」でもないが、数には目を瞑る。「武力行使事態」というが、そんな言葉はない。きっと「武力攻撃事態」と混同しているのであろう。最後の「周辺事態」だけが現行法上実在するが、岸井が何と言おうと「戦争」ではない。「戦時体制」とも違う。前述のとおり周辺事態で自衛隊は武力行使できない。「武力による威嚇」すらできない。それを「戦争なんです」と断じるのは暴論ないし妄想である。いわんや「武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとする」との断定においてをや。もはや低俗な陰謀論にすぎない。

 しかも、この日限りではない。3月1日の番組でも同様の展開となった。まず2月27日の中谷元防衛大臣の会見質疑が流れた。

Q:(略)「文官統制」規定というのは戦前の軍部が独走した反省から防衛庁設置法ができた時に、先人の政治家達が作ったと考えられるかどうかという点を伺いたい。

A:そういうふうに私は思いません。

Q:思わない。

A:思わない。

Q:思わない。

A:はい。

Q:思わないですね。

A:今までそういうふうに。(との答えを遮りながら・潮注記)

Q:戦前の反省から作られたというふうに思わないのですね。

A:そのように今までは、両方の補佐をしていただくということで機能してきたし、これからもそのように機能していくと。

Q:戦前の反省からできた「文官統制」規定だというふうに思わないわけですね。


自衛官は差別してもいい?


 公式記録からも、くどくど質問した記者(共同通信)の傲慢無礼な態度が推知されるが、番組は正反対の脈絡で紹介した。以下の発言者は岸井成格。冷笑を浮かべながら、こうコメントした。

 「以前、防衛省を担当したことがあるんですが、中谷大臣の会見を聞いて、『ああ時代が変わったな』と思いましたね。我々がいたころは、まだ常識的に、非常に感覚的にアレかもしれませんが、文民統制とそれを補充する文官統制は、戦前の軍部のドクセイ(独裁?独走?)に対する反省、とりわけ日本の場合、非常にそれが甚だしかったんで、それを担保するものだと感じてたし、また考えてたんですよね。大臣は『まったくそうは思わない』っていうことですわね。そこはなんで、そういうことになってきたんだか。中谷大臣はアレ、自衛官出身ですから、ちょっとそういうとこ、あるかもしれませんけど。とにかくあの(以下略)」
 表現の巧拙以前に、自衛官という職業ないし身分に対する蔑視が透けて見える。きわめて差別的な暴言ではないだろうか。日本国憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定める。民間人の岸井に「この憲法を尊重し擁護する義務」はないが、ぜひ尊重してほしい。もし差別でないなら、「そういうとこ」とは、どういうとこなのか、具体的に示してほしい。ついでに「アレ」の意味も教えてほしい。

 事実関係の誤りも承服できない。かつて私も、防衛庁(長官官房)広報課(対外広報担当)で勤務していたが、私がいた頃は、右のごとき「常識」や「感覚」はなかった。

 この日の問題発言は岸井だけではない。目加田説子(中央大教授)も「平和国家と銘打っている日本における自衛隊の位置づけという根本的な問題だと思うんですね。そもそも閣議決定で決めることではない」「納得できないですね」と発言した。すべて間違い。

 内閣が国会に提出する法案について閣議決定するのは当然である。それが許されないなら、議員立法でしか法改正できなくなってしまう。まだ閣議決定されただけであり、これから国会で審議される。「決める」のは内閣ではなく、国会である。天下の中央大教授なのだ、しっかりしてほしい。

 公正を期すべく付言しよう。以上の問題発言に先立ち。司会が「歯止めがなくなる」と誘導したにもかかわらず、田中秀征(福山大客員教授)は「制服組のほうが慎重であるということも十分ありえる」「戦前の軍の暴走のようになるかと言えば、そんなことはない」と抑制。続けて西崎文子(東大教授)も「必ずしも軍人が交戦的で文民が平和的だとは思わない」とコメントした。せっかく両教授が示した見識を、直後に目加田が損ね、レギュラーの岸井が2週連続でぶち壊した。TBSも困っているのではないか。

文官も政治に代替できない


 欧米に類例を見ない「文官統制」の発生は(保安庁、自衛隊の前身である)警察予備隊の発足に溯る。警察予備隊はGHQ(総司令部)民生局別室(CASA)の統制下にあった。CASAは米陸軍をモデルとして指導したが、当時日本側は理解できず、中央行政官庁組織として構想。このためCASAは「警察予備隊本部及び総隊総監部の相互事務調整に関する規定」の作成を指導し「Civilian Supremacy(文民優位)」の徹底を図ったが、CASAの二世通訳がこれを「文官優位(統制)」と誤訳。共産国を除き世界に類を見ない奇形はここから生まれた(宮崎弘毅「防衛二法と文民統制について」他参照)。

米国防総省
 他方「文民統制」の生みの親アメリカはどうか。ご存知のとおり「軍事に対する政治の優先」が貫徹されている。米国防次官や次官補らは政治任用(ポリティカル・アポインティー)された「文民」であり、公務員試験に合格した「文官」ではない。

 しょせん「官僚は、政治を代弁することはできても、政治に代替することはできない」(廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店)。(自衛官同様)民主的な手続で選出された政治家ではない。いくら「文官」が制服組を「統制」しても、政治が軍事に優先したことにはならない。3月6日に中谷大臣が答弁したとおり「文民統制における内部部局の文官の役割は、防衛大臣を補佐することであり、内部部局の文官が部隊に対し指揮命令するという関係にはない」(政府統一見解・衆院予算委)。一部のマスコミ報道は以上を弁えていない。

 他方、「制服組」が閣議決定を手放して礼賛するのも筋違いであろう。なぜなら「内局優位の組織体制は、内局の広範な長官補佐権という権限のみによってささえられているのではなく、三軍対立という普遍的な現象のもたらす組織力学にも負っている」からである(廣瀬)。リベラルな学者(廣瀬)の偏見ではなかろう。昭和45年4月15日、当時の防衛庁長官(中曽根康弘)もこう答弁している。

 「私は内局による統制というのは必要だと思っているんです。(略)三軍がばらばらにならないように、そういう意味で内局においてこれを統合するということは非常に大事な要素でもあるのです。そういう意味におけるシビリアンコントロールというのはある程度あるでしょう」(衆院内閣委)

 利権やポスト、予算を奪い合う陸海空自衛隊(三軍)の調整役として(文官の牙城たる)内局が機能する限り、防衛省設置法を改正しても実質的な文官優位は揺るがない(と考える)。護憲派なら、そう批判すべきではないだろうか。

 《「シビリアン・コントロール」という概念は、これまで決して満足に定義されてはいない》(ハンチントン『軍人と国家』原書房)――そう考えるのが国際標準である。同じ著者の『文明の衝突』(集英社)と違い、日本では存在すら知られていないが、欧米では(同書を批判したファイナー著『馬上の人』とともに)必読文献とされている。文民統制はテレビ人が一知半解で発言すべき分野ではない。最低でも以上の文献は読んでほしい。

 日本のテレビは昔から変わらない。平成13年、小泉純一郎内閣の防衛庁長官として、現在の防衛大臣でもある中谷元代議士が就任した際も、組閣直後の「ニュース23」で筑紫哲也キャスターが「戦後、制服組が防衛庁長官に就いたことはない。シビリアン・コントロール上の問題がある」と批判した。

 正しくは以下のとおり。「『文民』は『武人』に対する用語であり(中略)元自衛官は、過去に自衛官であったとしても、現に国の武力組織たる自衛隊を離れ、自衛官の職務を行っていない以上、『文民』に当たる」(政府見解)。そもそも「文民統制は、シビリアン・コントロールともいい、民主主義国家における軍事に対する政治の優先、または軍事力に対する民主主義的な政治による統制を指す」(防衛白書)。民主的に選ばれた衆議院議員が防衛庁長官や防衛大臣となることに「シビリアン・コントロール上の問題」などあるはずがない。それどころか文民統制の理想形である。14年後の今もなお、自衛官やOBへの差別的なコメントがテレビで流れる。先月号で指弾した誤報や放言を含め、暗澹たる気持ちになる。

 かつて福田恆存はこう説いた(「防衛論の進め方についての疑問」)。

 「軍の暴走は軍のみにその責めを帰し得ず、文民優位の護符一枚で防げると思ふのは大間違ひで、優位に立つ文民は軍と対等に渡り合へる専門家でなければならないのである」

 諸外国と違い、日本には(防大以外)軍事を教える大学もなければ、学部もない。その意味でも、中谷大臣の再登板は意義深い。一部テレビ人の批判はまったく当たらない。くだらぬ中傷は無視するに限る。

うしお・まさと 昭和35年生まれ。早稲田大学法学部卒業。旧防衛庁・航空自衛隊入隊。大学院研修(早大院博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大学准教授等を歴任。国家基本問題研究所客員研究員。岡崎研究所特別研究員。民間憲法臨調代表委員。東海大学非常勤講師。『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など著書多数。最新刊は『ウソが栄えりゃ、国が亡びる』(ベストセラーズ)。

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