日曜朝にTBSが放言、暴言
民放中、テレビ朝日と並び護憲リベラルの双極をなすTBSは同夜どう報じたか。閣議決定された6日の「ニュース23」は「文官統制の廃止を容認する元背広組OB」として柳澤協二を「元防衛庁官房長」の肩書で起用。閣議決定に理解を示した柳澤のコメントだけを流した。その後VTRで「今後自衛官の発言力が増す可能性がある」とも指摘したが、スタジオ出演した藤原帰一(東大教授)が「シビリアン・コントロールの本来の趣旨から言えば」と原則論を語って閣議決定に理解を示し、イラク戦争を例に、実は本性的に戦争を嫌がる軍の背中を、逆に文民政治家が後押しするリスクを指摘、「そのほうがとても心配」ともコメントした。
藤原はISILによる邦人殺害問題で2月2日の「ニュース23」に出演した際も、岸井成格キャスターの“安倍責任論”を「それを考えることは我々にとって一番大事なことなのか。(略)問題はあちら(ISIL)にあります」と釘を刺した。テロ対処に「力の行使」が避けられない現実も認めた。同じリベラル派でも、古賀茂明とは、知性と見識において雲泥の差がある。
他方、4月8日朝のTBS「時事放談」では藤井裕久(元財務相)がこう発言した。
「集団的自衛権そのものを許すべきじゃないと思いますが、周辺がありますね。周辺事態法をどうするとか、国連決議が要らないとか。これ集団的自衛権の延長線上だと思います。根っ子の一番悪いのは集団的自衛権。つまり完全な、平等の軍備を持つということ。それは(憲法が?)許してない」
およそ意味不明だが、たぶん安倍批判なのであろう。事実、番組最後にも「安倍政策を是認してはダメだよ。日本の将来が危ない」と語った。(集団的であれ個別的であれ)自衛権は国際法上の自然権である。重要閣僚を務めた著名人が「そのものを許すべきじゃない」と明言するのは、世界でも日本だけである。それを司会者の東大教授(御厨貴)も止めない。隣の片山善博(元総務大臣)まで、安倍内閣が目指す掃海部隊の派遣を「いつか来た道」と批判した。いくら「放談」でも、度が過ぎる。脱力感を覚えるが、先に進もう。
同じ8日朝、同じTBS系列で全国放送された「サンデーモーニング」が凄かった。
「文官統制」を「文官(防衛官僚)を自衛官よりも上に位置づける考え方」と報道。その「根拠」として防衛省設置法第12条関連の政府答弁を紹介し「安倍政権の考え方は少し違うようです」「今後、自衛官の発言力が強まるおそれがあります」と報じた。自衛官の発言力が強まるのは悪いことなのか。
続けて司会者(関口宏)が「色んな暴走を食い止めるために、色々ね、先人たちがつけてきた知恵が一個一個取り外されちゃって、簡単に(自衛隊を?)動かせるようになってますかね」と導くと、涌井雅之(造園家・東京都市大学教授)がこう放言した。
「そうなんですね」「憲法で『内閣総理大臣並びにその他の国務大臣は文民を原則とする』と、こう書いてますね。それは何かというとやっぱり先の大戦の反省に基づいてるんですね。だから何重にもロックをかけて、軍事力を持ったいわゆる自衛隊、軍に歯止めをかける。ここだったんですけど、このブレーキをドンドン外してるという、非常に大きな問題ですね」
すべて間違い。そもそも古賀茂明同様のど素人に語らせるセンスを疑う。バカバカしいが訂正しよう。憲法は「文民を原則とする」などと書いてない。正しくは「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)。原則規定ではなく、例外を許さない。なぜ「文民」なのか。「先の大戦の反省」ではなく、憲法制定過程で行われた、いわゆる芦田修正が原因である。9条の芦田修正により日本国は軍を保有できる余地が生まれたのだが、そこで一部の連合国(中ソ)が、シビリアン・コントロールを明記するよう求めた。その結果である。詳しくは関連拙著に委ねるが、短く説明しておこう。
文官は総理より偉いのか?
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(憲法9条)のなら、日本国に軍人はいなくなる。国民はみな文民となる。ゆえに「文民でなければならない」と明記する必要などない。実際、芦田修正以前の案文に文民条項はなかった。それが右の経緯で明記された。涌井らは以上の経緯を知らない。涌井はシビリアン・コントロールをクラウゼヴィッツの『戦争論』で説明する珍説も披露した。無視して先に進もう。続けて岸井成格がこう発言した。
「もう一つ重要な点は、総理大臣は最高指揮官なんですね。そうすると、軍人というのは命令に従う組織なんです。総理から言われたら、異を唱えるとか反対はできない。そういう組織なんです。それをチェックして『ちょっと待って下さい』と言えるのは文官しかいない。それを忘れてますよ」

安倍首相=2014年10月26日、空自百里基地(鈴木健児撮影)
これもすべて間違い。「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」(自衛隊法7条)が、「内閣を代表して」指揮監督するに過ぎず、自衛隊を防衛出動させるにも、閣議や国家安全保障会議を経なければならない。米国大統領のような名実ともの「最高指揮官」ではない(が、みな誤解しているので咎めない)。自衛官は「軍人」ではないが、もはや目を瞑る。許しがたいのは後段だ。
自衛官は服従義務があるが、文官なら、総理の命令や指示を「チェックして『ちょっと待って下さい』と言える」らしい。
岸井こそ重要な事実を忘れている。行政権は内閣に属する(憲法65条)。総理は内閣の首長である(同66条)。「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(内閣法6条)。岸井流に言えば、全省庁の「最高指揮官」になる。岸井が特別扱いする「文官」も、法的な身分は国家公務員。国家公務員法は「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(98条)と明記する。それを「チェック」し「ちょっと待って下さい」など、違法かつ不忠不遜な服務である。
さらに岸井は安保法制で各種の「事態」が乱立している現状を「言葉の遊び」と揶揄しこう述べた。
「五つぐらいあるんですよ。新事態、存立事態とか武力行使事態とか周辺事態とかね」「事態とは何かと言うと戦争なんです。戦時体制ってことなんです。武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとするんですよ」
バカらしいが手短に訂正しておこう。岸井は「集団的自衛権 事態がどんどん増える」と題した3月7日付「毎日新聞」社説を読んだのであろう。聞きかじりの知識で知ったかぶりするから間違える。私は「言葉の遊び」とは思わないが、もはや客観的ないし事実面での間違いに絞り指摘する。
まず岸井のいう「新事態」と「存立事態」は同じ概念であり、三つしか例示されていない。他方「五つぐらい」でもないが、数には目を瞑る。「武力行使事態」というが、そんな言葉はない。きっと「武力攻撃事態」と混同しているのであろう。最後の「周辺事態」だけが現行法上実在するが、岸井が何と言おうと「戦争」ではない。「戦時体制」とも違う。前述のとおり周辺事態で自衛隊は武力行使できない。「武力による威嚇」すらできない。それを「戦争なんです」と断じるのは暴論ないし妄想である。いわんや「武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとする」との断定においてをや。もはや低俗な陰謀論にすぎない。
しかも、この日限りではない。3月1日の番組でも同様の展開となった。まず2月27日の中谷元防衛大臣の会見質疑が流れた。
Q:(略)「文官統制」規定というのは戦前の軍部が独走した反省から防衛庁設置法ができた時に、先人の政治家達が作ったと考えられるかどうかという点を伺いたい。
A:そういうふうに私は思いません。
Q:思わない。
A:思わない。
Q:思わない。
A:はい。
Q:思わないですね。
A:今までそういうふうに。(との答えを遮りながら・潮注記)
Q:戦前の反省から作られたというふうに思わないのですね。
A:そのように今までは、両方の補佐をしていただくということで機能してきたし、これからもそのように機能していくと。
Q:戦前の反省からできた「文官統制」規定だというふうに思わないわけですね。
