自衛官は差別してもいい?


 公式記録からも、くどくど質問した記者(共同通信)の傲慢無礼な態度が推知されるが、番組は正反対の脈絡で紹介した。以下の発言者は岸井成格。冷笑を浮かべながら、こうコメントした。

 「以前、防衛省を担当したことがあるんですが、中谷大臣の会見を聞いて、『ああ時代が変わったな』と思いましたね。我々がいたころは、まだ常識的に、非常に感覚的にアレかもしれませんが、文民統制とそれを補充する文官統制は、戦前の軍部のドクセイ(独裁?独走?)に対する反省、とりわけ日本の場合、非常にそれが甚だしかったんで、それを担保するものだと感じてたし、また考えてたんですよね。大臣は『まったくそうは思わない』っていうことですわね。そこはなんで、そういうことになってきたんだか。中谷大臣はアレ、自衛官出身ですから、ちょっとそういうとこ、あるかもしれませんけど。とにかくあの(以下略)」
 表現の巧拙以前に、自衛官という職業ないし身分に対する蔑視が透けて見える。きわめて差別的な暴言ではないだろうか。日本国憲法第14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定める。民間人の岸井に「この憲法を尊重し擁護する義務」はないが、ぜひ尊重してほしい。もし差別でないなら、「そういうとこ」とは、どういうとこなのか、具体的に示してほしい。ついでに「アレ」の意味も教えてほしい。

 事実関係の誤りも承服できない。かつて私も、防衛庁(長官官房)広報課(対外広報担当)で勤務していたが、私がいた頃は、右のごとき「常識」や「感覚」はなかった。

 この日の問題発言は岸井だけではない。目加田説子(中央大教授)も「平和国家と銘打っている日本における自衛隊の位置づけという根本的な問題だと思うんですね。そもそも閣議決定で決めることではない」「納得できないですね」と発言した。すべて間違い。

 内閣が国会に提出する法案について閣議決定するのは当然である。それが許されないなら、議員立法でしか法改正できなくなってしまう。まだ閣議決定されただけであり、これから国会で審議される。「決める」のは内閣ではなく、国会である。天下の中央大教授なのだ、しっかりしてほしい。

 公正を期すべく付言しよう。以上の問題発言に先立ち。司会が「歯止めがなくなる」と誘導したにもかかわらず、田中秀征(福山大客員教授)は「制服組のほうが慎重であるということも十分ありえる」「戦前の軍の暴走のようになるかと言えば、そんなことはない」と抑制。続けて西崎文子(東大教授)も「必ずしも軍人が交戦的で文民が平和的だとは思わない」とコメントした。せっかく両教授が示した見識を、直後に目加田が損ね、レギュラーの岸井が2週連続でぶち壊した。TBSも困っているのではないか。

文官も政治に代替できない


 欧米に類例を見ない「文官統制」の発生は(保安庁、自衛隊の前身である)警察予備隊の発足に溯る。警察予備隊はGHQ(総司令部)民生局別室(CASA)の統制下にあった。CASAは米陸軍をモデルとして指導したが、当時日本側は理解できず、中央行政官庁組織として構想。このためCASAは「警察予備隊本部及び総隊総監部の相互事務調整に関する規定」の作成を指導し「Civilian Supremacy(文民優位)」の徹底を図ったが、CASAの二世通訳がこれを「文官優位(統制)」と誤訳。共産国を除き世界に類を見ない奇形はここから生まれた(宮崎弘毅「防衛二法と文民統制について」他参照)。

米国防総省
 他方「文民統制」の生みの親アメリカはどうか。ご存知のとおり「軍事に対する政治の優先」が貫徹されている。米国防次官や次官補らは政治任用(ポリティカル・アポインティー)された「文民」であり、公務員試験に合格した「文官」ではない。

 しょせん「官僚は、政治を代弁することはできても、政治に代替することはできない」(廣瀬克哉『官僚と軍人』岩波書店)。(自衛官同様)民主的な手続で選出された政治家ではない。いくら「文官」が制服組を「統制」しても、政治が軍事に優先したことにはならない。3月6日に中谷大臣が答弁したとおり「文民統制における内部部局の文官の役割は、防衛大臣を補佐することであり、内部部局の文官が部隊に対し指揮命令するという関係にはない」(政府統一見解・衆院予算委)。一部のマスコミ報道は以上を弁えていない。

 他方、「制服組」が閣議決定を手放して礼賛するのも筋違いであろう。なぜなら「内局優位の組織体制は、内局の広範な長官補佐権という権限のみによってささえられているのではなく、三軍対立という普遍的な現象のもたらす組織力学にも負っている」からである(廣瀬)。リベラルな学者(廣瀬)の偏見ではなかろう。昭和45年4月15日、当時の防衛庁長官(中曽根康弘)もこう答弁している。

 「私は内局による統制というのは必要だと思っているんです。(略)三軍がばらばらにならないように、そういう意味で内局においてこれを統合するということは非常に大事な要素でもあるのです。そういう意味におけるシビリアンコントロールというのはある程度あるでしょう」(衆院内閣委)

 利権やポスト、予算を奪い合う陸海空自衛隊(三軍)の調整役として(文官の牙城たる)内局が機能する限り、防衛省設置法を改正しても実質的な文官優位は揺るがない(と考える)。護憲派なら、そう批判すべきではないだろうか。

 《「シビリアン・コントロール」という概念は、これまで決して満足に定義されてはいない》(ハンチントン『軍人と国家』原書房)――そう考えるのが国際標準である。同じ著者の『文明の衝突』(集英社)と違い、日本では存在すら知られていないが、欧米では(同書を批判したファイナー著『馬上の人』とともに)必読文献とされている。文民統制はテレビ人が一知半解で発言すべき分野ではない。最低でも以上の文献は読んでほしい。

 日本のテレビは昔から変わらない。平成13年、小泉純一郎内閣の防衛庁長官として、現在の防衛大臣でもある中谷元代議士が就任した際も、組閣直後の「ニュース23」で筑紫哲也キャスターが「戦後、制服組が防衛庁長官に就いたことはない。シビリアン・コントロール上の問題がある」と批判した。

 正しくは以下のとおり。「『文民』は『武人』に対する用語であり(中略)元自衛官は、過去に自衛官であったとしても、現に国の武力組織たる自衛隊を離れ、自衛官の職務を行っていない以上、『文民』に当たる」(政府見解)。そもそも「文民統制は、シビリアン・コントロールともいい、民主主義国家における軍事に対する政治の優先、または軍事力に対する民主主義的な政治による統制を指す」(防衛白書)。民主的に選ばれた衆議院議員が防衛庁長官や防衛大臣となることに「シビリアン・コントロール上の問題」などあるはずがない。それどころか文民統制の理想形である。14年後の今もなお、自衛官やOBへの差別的なコメントがテレビで流れる。先月号で指弾した誤報や放言を含め、暗澹たる気持ちになる。

 かつて福田恆存はこう説いた(「防衛論の進め方についての疑問」)。

 「軍の暴走は軍のみにその責めを帰し得ず、文民優位の護符一枚で防げると思ふのは大間違ひで、優位に立つ文民は軍と対等に渡り合へる専門家でなければならないのである」

 諸外国と違い、日本には(防大以外)軍事を教える大学もなければ、学部もない。その意味でも、中谷大臣の再登板は意義深い。一部テレビ人の批判はまったく当たらない。くだらぬ中傷は無視するに限る。

うしお・まさと 昭和35年生まれ。早稲田大学法学部卒業。旧防衛庁・航空自衛隊入隊。大学院研修(早大院博士前期課程修了)、航空総隊司令部、長官官房勤務などを経て3等空佐で退官。防衛庁広報誌編集長、帝京大学准教授等を歴任。国家基本問題研究所客員研究員。岡崎研究所特別研究員。民間憲法臨調代表委員。東海大学非常勤講師。『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)など著書多数。最新刊は『ウソが栄えりゃ、国が亡びる』(ベストセラーズ)。