物江潤(著述家、学習塾塾長)

 左派と右派、両陣営の識者はなぜダブルスタンダード(二重規範)に陥ってしまうのでしょうか。私の結論を最初に述べてしまえば、「規範がないから」の一言に尽きます。

 規範が複数あって、都合よく使い分けているからダブルスタンダードに陥るのではありません。そもそも、明確な規範がないため、その時々の状況によって言動が変わり、結果として規範が変わっているように見えるわけです。

 この結論の理由を示す前に、ダブルスタンダードだと批判を受けそうな事例を紹介します。まずは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に関する社説を見てみましょう。

 萩生田光一文部科学相は「検閲には当たらない」と言う。しかし「退廃芸術」を排除しようとしたナチス・ドイツを持ち出すまでもなく、政治が芸術に介入するのは危険極まる。政策の基本的な計画で「文化芸術の『多様な価値』を活(い)かして、未来をつくる」とうたう文化庁が、多様な価値観を持つ芸術家の表現活動を圧迫し、萎縮させる結果になるのではないか。


 もう一つは、小学館『週刊ポスト』の特集記事「韓国なんて要らない」に関する社説です。

 日本と韓国の関係が悪化している中、韓国への批判はあって当然だ。しかし、韓国人全体への差別を助長し、憎しみを煽(あお)るような記事は、「報道」とは程遠い。深刻な反省と再発防止を求めたい。(中略)ポスト誌は謝罪談話を出したが、真の謝罪とするためには、当該号の回収も検討すべきだ。


 最初の記事からは、表現活動への圧力は許されないと読めます。しかし、もう一方の記事を読むと、週刊ポストの回収を検討すべきと主張しており、場合によっては表現活動に対する圧力もやむを得ないと解釈できます。
「あいちトリエンナーレ2019」のチケット売り場に掲示された、企画「表現の不自由展・その後」の中止を知らせる案内=2019年8月4日、名古屋市の愛知芸術文化センター
「あいちトリエンナーレ2019」のチケット売り場に掲示された、企画「表現の不自由展・その後」の中止を知らせる案内=2019年8月4日、名古屋市の愛知芸術文化センター
 紙幅が限られているという事情は分かりますし、あらゆる表現活動が許されるわけではないことも同意します。しかし、東京新聞が考える「表現の自由に関するルール(規範)」が見えにくい状況であることは確かです。表現活動に対する圧力は最終手段のはずなので、それを自らが行使する場合には、もっと明瞭な規範を提示すべきではないでしょうか。