それに、日本人全体が規範を有することを苦手としているわけですから、左派の話だけではありません。左派と右派、両陣営の基本的な規範を明確にすることが、あるべき言論の第一歩でしょう。保守思想の場合、厳密な意味での規範設定は難しいでしょうが、基本的な姿勢を記述することは可能だと思います。

 そして、その規範なり姿勢を源泉とすることで、表現の自由やヘイトスピーチといった、個別テーマに対する左右両陣営の規範を設定できるはずです。確かな規範が明確な主張をもたらし、明確な主張が明確な反論を可能にすることで、建設的な言論のやりとりが期待できるわけです。

 ところが、日本にとっては、これまた大変よろしくない事態が続いています。この左右の分け方が、あまりにもいい加減だからです。

 日本人は社会主義の政権が誕生することを望んでおらず、彼らに求めたのは自民党が過度に右傾化しないようにという牽制の役割だけだった。つまり日本人は「戦前の軍国主義に戻るのは嫌だが、かといって社会主義にもなってほしくない」という中庸的な立ち位置を求めたのである。
 これによって一党支配の自民党と、それに野党としての社会党が対立するという五十五年体制が確立することになる。これ以降、この左派勢力はもっぱら「革新」「進歩派」などと呼ばれるようになる。保守と革新、保守系文化人と進歩派文化人。


 戦後の日本では、自民党的だったら右派である保守、社会党的であれば左派である革新・進歩派とそれぞれ位置付けられ、左派は共産主義の退潮とともにリベラルと称するようになりました。しかし、この分類は、あまりにも大雑把としか言いようがありません。

 本来であれば、その思想の本家本元の考え方を徹底的に学び、そうして日本に土着させるため「本家本元」と「日本特有の諸要素」を上手く接続させていく、といった手順が最低限必要なはずです。

 ところが、そうしたステップを踏むことなく、左右両陣営が何となく曖昧に定義づけられてしまったわけです。これでは、両陣営が持つべき規範など、皆目見当もつかないでしょう。
社会党の勝間田清一委員長(右)と会談する自民党の佐藤栄作総裁(首相)=1967年11月
社会党の勝間田清一委員長(右)と会談する自民党の佐藤栄作総裁(首相)=1967年11月
 しかし、過去を振り返れば、実は多くの財産が残されていたことが分かります。様々な事情が重なり、不幸なことに大変いい加減な定義づけがなされてしまった思想たちですが、これらを日本に根付かせようと奮闘した先人たちがいたわけです。

 「自裁死」した評論家の西部邁氏や、高校の教科書にも載っているジャーナリストの陸羯南(くが・がつなん)、歴史学者の津田左右吉(そうきち)といった面々は、保守思想や自由主義(リベラリズム)が日本で芽吹くための重要な仕事をされました。彼らの貴重な財産を生かすために、今を生きるわれわれ日本人は何を成すべきでしょうか。