彼と私が関係を持つようになったきっかけは、3月10日の記者会見で「フリーの菅野です」と彼が言った時、彼は笑ったのです。そのとき、ちょっとイメージ的なのですが、何か自分と同調するものを感じたのです。

 私は彼を知らないし、会ったこともなかったのですが、そのように感じたのです。平成28年(2016)4月に出版された彼の著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)を読んだときも、「日本会議も有名になってきたな」と思った程度でした。

 しかし、同調する何かを感じた、これは何なのだろうということが自分の頭に残っていたのです。そして10日の会見が終わった翌日、彼から一度会いたいとLINEでメッセージが送られて来ました。その時のやり取りは次のようなものです。

2017年3月11日(土)
菅野: 菅野です。昨日はありがとうございました。やはり佳茂さんのお話をお伺いしたいです。なんとかお時間を頂戴することは叶いませんでしょうか。日本会議とか日本教育再生機構とか、それは実は私にとってはどうでもよく、もう少し違うお話をお聞かせ願えればありがたいのです。何卒ご検討のほどよろしくお願いします。
佳茂: ご苦労様です。お話の方向性をお聞かせください。私は父は嵌められたと観ています勿論省みる所はあるのも事実です。しかし、父だけが責任を負うと謂う構図では決してないと思っています。拝
菅野:まさにその点をお聞かせ願えればと考えておりました。理事長は、今回の件だけでなく、これまでもずっと利用されはめられ続けてきたのではないか?というのが、私の仮説なのです。このままでは理事長も子供たちも決して納得できないと思うのです。そこを是非お聞かせ願えればありがたいです。つまり理事長は被害者なのではないか?と、私は思っているのです。
佳茂:さすがのご慧眼。その通りであります。日本は本当に建て直しに入っているのではと思います。菅野さんが仰る国家を語る反国家主義者を一掃せねばならないと思います。
菅野:そこなんです。ずっと引っかかるのは。そういう連中は左右両方にいる。で、嘆かわしいことに、右の方が多い理事長はその両方にはめられたんではないかというのが見立てなんです。
佳茂:なるほど。場合によっては全面協力しますよ。仰る通りであります。


 そしてホテルのラウンジでお会いしたのが夕方の6時か7時頃でした。

 なぜ会う必要があるのか聞いたところ、「右にも左にも騒動を利用しようとする輩がいる」とメッセージに書かれてあり、当時の私の心境に近いものがあったので、会うことにしました。
     
 会って最初に、「森友寛先生のレジェンドを残さないといけない」と言われました。とにかく父は悪くないとも言っていました。当時は、私もそう思っていましたから。彼は森友寛のことなどを、非常によく勉強していました。

 だから、普通の人として会ったわけですが、結果的にそれが大爆弾になったということです。ただ、それは私の本意ではないのです。むしろ、その当時のバッシングのされ方があまりにも実態とかけ離れているという感じだったのです。
大阪地検に入る籠池泰典前理事長(奥)と妻の諄子氏=2017年7月、大阪市福島区(安元雄太撮影)
大阪地検に入る籠池泰典前理事長(奥)と妻の諄子氏=2017年7月、大阪市福島区(安元雄太撮影)
 話の内容は、騒動を利用する人たちがいるということでした。菅野完は私の意見に同調し、学園の方針を否定するようなことは言っていなかったと思います。彼は「右も左も騒動を利用しようとする者がおる、むしろ右の方が多い」とも言っていましたが、今から思えばお笑い話です。「ちょっと待て、お前よう言うな、それはお前やないか」とわかります。

 LINEにあった「国家を語る反国家主義者」とは、実は彼そのものでした。しかし彼は、「あなたのよき理解者ですよ」と装っていたわけです。 

■「ご両親は悪くない」

 その翌日も会いました。菅野完は「ご両親は悪くない。悪いのは大阪府であり、財務省だ」「自分は役人を刺したい」とまで話していたのです。当時そのような意見を聞くのは初めてだったので、「それなら父に会って話しを聞いてくれ」と言って、12日に自宅へ連れて行ったのです。

 父が彼と会ったとき、父は、菅野完が塚本幼稚園での虐待などについて取材をしたり、記事を書いていたことを知っていたようです。だから記者会見の時に「あんたか」と言ったので、彼のことについては、父の方がわかっていたと思います。いま考えれば、これが大きな運命の分かれ道でした。