吉川圭一(グローバル・イッシューズ総合研究所代表)

 令和2年は三島由紀夫没後50周年に当たる。三島は「自分の思想は50年後に理解されるだろう」と言い残した。その実現のために、三島に多大な影響を受けた私も微力を尽くしたいと考えている。だが、三島の思想はあまりにも複雑で奥が深い。

 ただ、単純な極右思想ではなく、ヨーロッパ近代の人間観を超克した、より高度で強靭な、人間の意識を追求する思想であるといえるだろう。そこで三島の思想は、しばしばニーチェの超人思想と比較される。しかし、本来三島の思想はサルトルの思想を超越し、真の「近代の超克」を目指すものなのである。

 そのことが理解されていないのは、サルトル(およびパートナーのボーボワール)に三島が言及した文章が、若者向けの読み物の方に多く、本格的な思想論文の中で、サルトルの名前を出したものが、あまり見受けられないからかもしれない。

 だが、サルトルの名前を出さなくとも、三島がサルトル思想に言及し、これを批判し超克しようとした文章はある。それは三島の思想の集大成というべき『文化防衛論』である。

 この中で三島は、文化とは単に「見られるもの」ではなく、「見返し」てくるものである―と述べている。例えば歴史的名作の美術品は、ただ鑑賞されるものではなく、同じような作品を作ろうとする人に「もっと良いものを作らねば」という強い圧力を加える。

 この「見返し」という表現は、日本文化独特のものかもしれない。少なくとも三島は、この「見返し」という言葉を強調することで、サルトル思想を批判し超克しようとしたのだろう。

 サルトルの思想は「『見る』=『見られる』の弁証法」と呼ばれることがある。これは例えば障害者の障害のある部位を凝視することは、その障害を強く本人に意識させるので、差別的な言葉を投げかけるのと同じことでよくない―といった考え方であると理解することができるだろう。

 いわゆる近代的ヒューマニズムの思想そのものだろう。これは一見、すばらしいことのように思われるが、実は人間の意識を現状の低い次元に繋ぎ止めてしまう思想ではないだろうか。先の美術品の例で言うなら、高度な美術品を見たために、より良いものを作らねばと考えることも、個人の精神に対する抑圧として否定するような考え方であるとも理解できる。
昭和を代表する文壇たち。左から三島由紀夫、安部公房、石川淳、川端康成=1967年2月
昭和を代表する文壇たち。左から三島由紀夫、安部公房、石川淳、川端康成=1967年2月
 だが、抑圧がなければ人間は高次元の意識を持ち、意義の高い仕事をすることはできない。例えば「同性愛は治さなければいけない」という思想が一般的だった時代には、同性愛者と噂された芸能人は、非常に優れた芝居などをしていたと思う。ところが、最近の多様性を尊重する思想が広がって以降、同性愛者であることを、むしろ誇示している芸能人らは、かつての同性愛芸能人より優れた芝居などをしていないと、少なくとも私には思えてならない。