三浦瑠麗(国際政治学者)

 日米安保条約は、敗戦国日本にとって最大の国論を二分する論点だった。その時代は終わりを告げつつある。三島由紀夫はかつて、こう言っている。

 ぼくは自民党の福田赳夫氏にもいったんだが、マイホーム主義者・自民党支持者イコール安保条約支持者と考えるのは間違いだ。両者の間には安保に対する大変な許容量の差がある、そこをよく考えないと自民党は必ず失敗するとね。


 三島は自裁したことからして、暗く思い詰めたイメージを抱かれがちだ。しかし、彼がこの『文藝春秋』や『ポケットパンチOh!』などで語ったり書いたりするときの政治の捉え方はもっと落ち着いていて、普遍的に物事を捉えている感じがする。

 今、没後50年を迎える三島の言葉を振り返ったとき、2020年の日本はずいぶんとそのころから変化したのだということがよく分かる。

 三島が上記の分析をした1969年は、確かに国民の多くが日米安保に対する抵抗心を持っていたのかもしれない。しかし、現在の自民党の中でも保守寄りの安倍晋三政権は、そのようなナショナリズムによる日米安保への抵抗感というものを持ってはいないし、私の行ってきた世論調査から見ても、世代交代とともに早晩そのような抵抗感は消え去る運命にある。

 日米安保が国民を分断し続けるのはせいぜいあと10年から20年であり、その後の日本は数多くの先進国と同じように、内向きかグローバリゼーション寄りかという分断、あるいは社会的な価値観をめぐる分断に寄っていくだろうというのが私の見立てだ。

作家の三島由紀夫=1970年1月撮影
作家の三島由紀夫=1970年1月撮影
 三島は、日米安保による安全と独立をめぐるジレンマを、「国連警察予備軍」および「国土防衛軍」の創設と両者の厳密な切り離しを通じて解消しようと試みた。当時の日本社会にとって、米軍の要請によって創設された警察予備隊を前身とする自衛隊が、国内の暴動やデモの鎮圧に使われるのかどうか、あるいは総理大臣ではなく米国の命に従ってしまったらどうするのかは重要な論点だったのであって、三島の懸念は杞憂に終わったが、もっともな点がなくもない。

 もしも、日本の統治機関が外国勢力と繋がってしまっていたらどうするのか。この問いは、正面から問われたことはなかったが、当時の日本の知識人からすれば切実な問いであったに違いない。それは、長らく独立国家としてやってきた日本が敗戦国として直面した、自律性をめぐるアイデンティティーの問題だったからだ。

 しかし、実際には米国は「正しい」政策志向を持つ帝国であったがために、幾つかの無体な要求はあったにせよ、自由主義や民主主義、人権の概念を強化する方向に働きかけこそすれ、日本はソ連や中国の傘下にあるよりはよほどましであったことには変わりはない。