三島が提起した国土防衛軍と国連警察予備軍の創設とのすみ分けは、二つの重要な問題提起を含んでいた。

 一つは、日米安保という非対称な二国間同盟を、国連憲章のもとでの集団安全保障体制の下部構造として位置付けようとしたことだ。国連憲章が保証する自衛権の行使は、弱小国にとっては救いにならない場合が多い。

 しかも、集団安全保障体制のもとで国連軍を形成し、侵略された弱小国の救援に向かった事例がほとんど存在しないことも確かであり、仮に実現したとしても時間がかかり、救援に駆け付けたときまでにはダメージは確定している可能性が高い。だからこそ、国連憲章は集団的自衛権を認めることによって、個別的自衛権による自衛の限界を超えた後の国連軍派遣と救済までの時間的ギャップを埋めようとしたのである。

 三島はこの点を正確に理解していたがゆえに、日米安保条約上の取り決めを実行できるような国連警察予備軍を「警察的任務」のために作ろうと考えたのである。日本は現行の憲法下では海外派兵はできない(ことに当時はなっていた)から、国連軍の戦闘部隊として救援に駆け付けることはできないが、例えば朝鮮戦争の再発時には米軍を後方支援するだろうし、また日本が侵攻された場合には米軍に助けられることになる。

 翻って、国土防衛軍は三島にとって、ナショナリズムと国防意識を保持するために必要なものであった。確率は低いが、本土が侵攻されたときのために、陸上自衛隊の9割をこちらに移すという提案である。そして、領海と領空を守るための海自、空自の一部をこちらに振り分けるという考え方であった。

 これは奇天烈な提案ではない。米国における州兵は、歴史的には大英帝国からの侵攻に備えるための民兵に起源を持つし、メキシコなどの地続きの隣国を蹂躙(じゅうりん)したことはあったものの、基本的には本土防衛やネイティブ・アメリカンとの戦闘のための郷土防衛軍であった。

 大英帝国の植民地であった米国にとって、常備軍が治安出動するというのは、大英帝国の赤い制服の陸軍が植民地人である自分たちを抑えつけ取り締ることを想起させる危険な事象であった。だからこそ、今でも米国は、有事には州兵が軍隊に組み入れられるが、平時の治安出動は陸軍ではなく州兵に任されているのである。
「楯の会」会員4人と東部方面総監を人質に取り、2階バルコニーから自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫。この後、総監室に戻り自決した=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地
「楯の会」会員4人と東部方面総監を人質に取り、2階バルコニーから自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫。この後、総監室に戻り自決した=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地
 しかし、現実には日本はそのような綺麗な切り分けをすることなく、自衛隊の治安出動にも防衛出動にも慎重な態度を崩さないことで、問題を乗り越えてきた。ただ、将来的には陸自の存在意義が問われる中で、人口減による人員不足も相まって、陸自の大半の隊員は災害出動とテロ対策を主な任務とする州兵的な存在に移行していくのではないかと私は考えている。

 戦争のテクノロジーの変化が、これだけの人員の存在を正当化しなくなったとき、政治は再び三島の言う「作法」「儀礼」を必要とする国家としての軍のあり方、国防意識のあり方に目を向けるだろうからである。実際に、フランスではそうした方向に揺り戻しが起きている。