古谷経衡(文筆家)

 三島由紀夫と森田必勝が東京・市ヶ谷で自害した1970年、私は精子ですらなかった(小生、82年生まれ)。いわゆる「三島事件」は私の中では昭和史の一ページであり、たとえそれが2020年に50周年を迎えようとも、やはり私の中で皮膚感覚的に理解しがたい時間の乖離がある。しかしながら、三島事件に関する書籍は何千冊も刊行されており、様々な評論家や作家、文筆人がこのことを多角的に検証・評論している。

 三島事件当時30歳であった保阪正康氏ですら、「三島由紀夫主導による盾の会事件そのものについて、私は今も評価を与えるという側にはいない。その行為を先駆的だとか憂国の義挙といったようには見ない」というのだから、当時精子ですらなかった私がよめよめこのことに評価を与える立場にないのは自明である。

 とはいえ、三島の自害時の檄文(げきぶん)を再度読み直してみた。この檄文は、様々な人が何百万回と読み込んでいるだろうから当然ここでは全文を引用するわけにはいかないが、自衛隊と現行憲法の矛盾を高らかに謳(うた)う三島の文章は、50余年を経た現在でも、確かに色褪せていないように思える。

 しかし、日本が西ドイツ(当時)を抜いて世界第2位の経済大国になったのが1968年。その2年後に三島事件が起こったことを考えると、檄文の中にある「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし」の部分は、今考えると三島の想像以上に危うくなった。

 現下の日本は国内総生産(GDP)で中国に抜かれ、一人当たり国民所得は経済協力開発機構(OECD)下位のイタリアと同水準にまで落ちた。経済的に「格下」と思って舐めていた韓国の所得と、あと8千ドルしか差がなくなっている。

 そう考えると、現在の日本は「経済的繁栄にうつつを抜かす」どころか、凋落と困窮の一途をたどっているのだから、三島の晩年というのは本当に日本経済が恵まれた段階にあったと言える。もはや現下「経済的繁栄」という言葉自体が死語となり、その言葉を使用できるという魂魄(こんぱく)の中には余裕すら感じられる。

 かようにして、三島事件は戦後日本の経済的繁栄の、ある種完成点の段階で起こったのであり、このような経済の余裕があったからこそ、檄文には「国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り」と続くわけである。ここには、言外に成金主義となった日本人の精神的堕落への叱咤(しった)が読み取れるわけだが、もはや成金でも何でもない、オーストラリアより断然貧乏になった現在の日本人には、ますます三島の檄文など届かないであろう。
在りし日の三島由紀夫=1969年5月
在りし日の三島由紀夫=1969年5月
 そして三島が最も激しく指弾した現行憲法と自衛隊存在の矛盾である。三島は檄文の中で自衛隊を「警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず」と形容している。確かに、日本国憲法の中では「陸海空軍その他の戦力を保有せず、国の交戦権はこれを認めない」と書いているにもかかわらずに実力部隊としての自衛隊が存在するのは、戦後日本最大の矛盾であることは論を俟(ま)たない。つまり自衛隊は警察権力の大なるものという表現は正鵠(せいこく)を射ており、現在でも全く通用するロジックだ。