確かに90年代のある時期までは事実そうであった。が、その後たった20年で、自衛隊と日本政府は前記したすべての装備品を手に入れ、集団的自衛権を行使することができるまでになった。

 憲法改正なくば国が亡びる! 憲法改正なくば日本は普通の国になれない! みたいな言説は、90年代~ゼロ年代前半に流行った政治的右翼のお家芸だが、現在多くの国民は、「憲法を改正しなくともこれだけのことができるのだから、特段憲法9条をいじる必要はない」と考えている。実際、「これだけのことをやってきた」第2次以降の安倍政権下で、総理の理想とは反比例するかのように、各社の調査で改憲機運は盛り下がっている。

 改憲論者の私ですらも、「安倍政権下でこれだけのことができるのならば、わざわざ9条をいじらなくてもよいのではないか」という見解に傾いている。

 三島の憂国とは裏腹に、50年経って自衛隊は着々と軍隊化し、いやむしろ軍隊になっている。存在しないのは憲法に規定された特別裁判所(軍法会議)ぐらいで、あとは解釈の仕方で、良い意味でも悪い意味でも何とでもなる。事実、自衛隊の海外での武器使用は必要最低限度とはいえ、許容されている。これが、憲法改正論が現在薄弱となっている理由の核心的本質である。

 三島は、日本経済が豊穣の時代に作家活動を行い、国内外に多大な影響を与えた。そしてその死は、戦後日本経済のある種の完成形の瞬間であった。余力の時代の中で起こった大事件であった。確かに、50余年経っても三島の檄文は「理屈上」色褪せていない。だがそれは、色褪せていないというだけで、現代日本に適用できる「現役装備品」ではない。
自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地
自衛隊員に憲法改正に向け決起するよう呼び掛ける作家の三島由紀夫=1970年11月25日、東京・自衛隊市ケ谷駐屯地
 三島事件や三島の晩年の思想に現在でも傾斜する人々は少なからずいる。それは全然勝手で自由だと思うが、私にはこの国の最優先課題は、憲法改正を通じた自衛隊の国軍化とか国民精神堕落の矯正とか、国の大本の覚醒とかではなく、給食費を払えない学童の救貧とかデフレーションの脱却とか労働者賃金の急進的上昇であると思えてならない。

 ※参考文献『三島由紀夫と盾の会事件』(保阪正康著、筑摩書房)