清義明(フリーライター)

 美輪明宏が、ある日、何かの用事で都庁に出掛けた折、その当時都知事だった石原慎太郎と出くわしたときのエピソードがある。

 部下に囲まれて現れた石原は、美輪を見つけると近づいてきて、喰(く)ってかかるように

 「三島(由紀夫)を殺したのはオマエだ」と絡んできたという。

 美輪はこれに動じず、「ああそうよ、次はアナタを呪(のろ)い殺してあげるわ」と言い返した由。なかなか圧巻な話である。

 三島由紀夫と石原慎太郎が、戦後文学の異端児として盟友であり、同時に、鼻先三寸で切っ先を合わせあうようなライバル関係でもあったことはよく知られている。ともに戦後民主主義に対する「価値紊乱(びんらん)者」としてその存在を誇示し、作品が放つ熱量と衝撃波を追い風にして、映画や週刊誌といった当時の最先端メディアを巧みに利用した。そして、両者は競い合うようにして政治の世界に足を踏み入れた。

 一方、美輪も価値紊乱者であった。美少年のバイセクシャルな歌手として、夜の銀座に名を轟(とどろ)かせ、また同性愛者ということも公言していた。やはり自身が同性愛者であることをほのめかすように『仮面の告白』や『禁色』といった小説を発表して話題をさらっていた三島は、美輪にぞっこんとなって、当時の「ゲイボーイ」の美少年が集まるクラブで逢瀬(おうせ)を楽しんだという。

 このクラブのバーテンダーだった、まだ世に出る前の野坂昭如は、当時の三島を「末成(うらな)りの瓢箪(ひょうたん)」「額ばかり目立つ虚弱児そのもの」だったと回顧している(野坂はこのクラブで客からの男色の誘いを断りながら、10日勤めて辞めている。後年、野坂もまた、この期に三島、石原と続く、戦後民主主義の価値紊乱者の一人として人気作家となり、メディアのトリックスターとして君臨し、そして後には政治の世界に足を踏み入れることになる)。
舞台「黒蜥蜴」の脚本を担当した作家・三島由紀夫(中央)を囲み、歓談する(左から)天知茂、主演の丸山明宏(美輪明宏)、広瀬みさ、戸部夕子=1968年3月11日、東京・高輪の光輪閣
舞台「黒蜥蜴」の脚本を担当した作家・三島由紀夫(中央)を囲み、歓談する(左から)天知茂、主演の丸山明宏(美輪明宏)、広瀬みさ、戸部夕子=1968年3月11日、東京・高輪の光輪閣
 石原が「三島を殺したのはオマエだ」というのは、それなりに当たっているのかもしれない。その一つは、三島の虚弱体質にあからさまな嘲笑を浴びせていたことだ。

 あるとき、三島とダンスをしようとクラブのフロアで体を絡めた際、三島の腰に手をまわした美輪は、豪勢なスーツの下に貧弱な体が包まれていることを大げさに言い立てて、「スーツの中のどこに三島さんはいるの?」と笑ったそうだ。三島はそれでショックを受けたようだ。そのままクラブから帰ってしまい、しばらく美輪のもとに現れなかったという。