三島由紀夫の評論や回想録で異彩を放つものに、石原慎太郎の『三島由紀夫の日蝕』(新潮社 1991年)がある。

 雑誌「新潮」に初出掲載時、サブタイトルには「その栄光と陶酔の虚構」とつけられていた。これが発表されたのは出版に先立つ1990年。三島の没後20年の三島の特集号で、今から30年前の話となる。

 三島は本人いわく、昭和32年の頃から内なる芸術至上主義と決別したという。ボディービルで鍛錬した肉体を誇示するようにしながら、文武両道を称揚し、ボクシングや剣道や居合抜きなどを始めたのはこの頃だ。そして、周りには自分のことを知りたいなら、そのときの経験を記した自伝的評論『太陽と鉄』を読めと自薦していたという。

 肉体による自意識の超克を楽観的に夢想し、そこに生の謳歌(おうか)を語る形而上学的かつ難解な論理が続く『太陽と鉄』に、私は初めて読んだときから困惑し続けている。貧弱な肉体を意識していた三島が、あるときにこれを自ら意識的にコントロールすることに舵(かじ)を切って、己の文学の足場を移動したということは確かに分かる。しかし、逆に何も変わっていないのではないかという疑問も私にはある。壮麗な論理に見えて、実は陳腐な独りよがりを言っているだけなのではないか。

 そこを痛烈についたのが石原である。『三島由紀夫の日蝕』で、石原はその『太陽と鉄』を「大仰な嘘」「うさん臭い自己告白」「怪しげなアッピール」と徹底的に揶揄(やゆ)し否定した。理由はある。それは石原が三島の肉体オンチぶりを間近に見てきたからだ。

 三島のボクシングのスパーリングでは、子供のようなストレートしか打てず、フックを打つようにアドバイスしても、「フックはまだ習っていない」と弱音を吐かれ、コーチはため息をつく。プールでクロールを習ってもうまく泳げない。

 剣道では「面」の掛け声と動作がちぐはぐで、竹刀を振り下ろし続けるうちに、声と動作がますますずれていく。三島本人は剣道五段を自称していたが、これはよくある有名人へのサービス認定の段位で、せいぜい二級か三級程度の実力。どういうわけか、三島は手首をうまく返り返すことができないため、もともと剣道には向かないのだ。さらに真剣を使う居合抜きまで習うが、得意になって披露しようとすれば、振り上げた刃が鴨居(かもい)に突き刺さってしまい、慌てて抜こうとして力加減を間違い、自慢の銘刀の刃先をこぼれさせてしまう。

 肉体と官能の優位性と暴走、その残酷さと対峙することを己の文学のテーマとしてきた石原慎太郎は、その作品の値打ちを裏書きするように、自らがスポーツマンであることを誇ってやまなかった。だから、三島の『太陽と鉄』の「陶酔」が「虚構」であると容赦なく言い放つのは当然のことなのだろう。
ボクシングの観戦に訪れた三島由紀夫=1964年10月11日、文京区の後楽園アイスパレス
ボクシングの観戦に訪れた三島由紀夫=1964年10月11日、文京区の後楽園アイスパレス
 三島はボディービルで肉体を鍛えあげた。しかし、石原はボディービル自体を、何かの目的がない観賞だけのためにあるものとして、素晴らしい身体とは何かの行為を目的として鍛錬されるもので、ことさら誇るためのものではないという。その肉体はいわば虚構ということだ。そして、それは三島の死にしてもそうだった。徹頭徹尾、ナルシシズムが根底にある意識的なもので、目的性とは遊離して発現したのがあの事件だった。