2020年01月21日 17:34 公開

幼くして母ダイアナ妃の死と向き合った時も、10代でパーティーにうつつを抜かした時も、従軍していた時も、ハリー英王子はメディアのスポットライトの中で生きてきた。

その後は故ダイアナ元妃のように、世界中で慈善活動に力を入れるようになった。それから結婚し、一児の父親となった。

そして現在、サセックス公爵ハリー王子と妻のメガン妃は新しい生活を始めようとしている。王族としての公務から退き、「HRH, His/Her Royal Highness(殿下)」の敬称と公的資金を返上し、多くの時間をカナダで過ごそうとしている。

ハリー王子は常に、公務と私生活のバランスを取ろうとしてきた。慈善活動においては、王位継承権6位という地位が支援獲得に貢献してきた。一方で、注目されすぎることもあり、その度にハリー王子は家族のプライバシーのために戦ってきた。

母親の死まで

ハリー王子は1984年9月15日、チャールズ皇太子とダイアナ妃の次男として、ロンドン中心部のセントメアリー病院で生まれた。12月にはウィンザー城のセントジョージ礼拝堂で、カンタベリー大主教からヘンリー・チャールズ・アルバート・デイヴィッドの洗礼名を授かった。

しかし生まれた直後から、彼は「ハリー」と呼ばれることが公式発表されていた。


ハリー王子の幼年期は1997年、母親の死によって突然打ち切られた。ダイアナ元妃はこの年の8月、パリでパパラッチに追われる中、トンネルでの衝突事故で亡くなった。36歳だった。

ダイアナ元妃の死は世界中の王室ファンを震撼(しんかん)させた。しかし当時12歳のハリー王子と15歳の兄ウィリアム王子にとっては、人生そのものが永遠に一変してしまう出来事だった。

ウェストミンスター大聖堂での葬儀で、2人は母親の棺の後ろを歩いた。その様子を捉えた葬儀の中継は、BBCで最も視聴された番組の1つとなった。

ハリー王子は2017年に受けた英紙デイリー・テレグラフの取材で、「12歳で母を亡くし、その後20年間全ての感情を閉ざしていたことは、私の私生活だけでなく公務にも深刻な影響を与えていたと、今なら言える」と語っている。

「あらゆる方面からあらゆる悲しみや嘘、誤解が押し寄せる中、私はさまざまな場面で、破綻する直前だったと思います」

ハリー王子はウィリアム王子と同様、小学生まではロンドン・ノッティングヒルのウェザビー・スクールへ通った後、中学校からは名門イートン校に進学した。

2003年の卒業後は、1年間のギャップイヤー(高校卒業後の休暇)を取得。オーストラリアの牧場で働いたり、アフリカ・レソトでエイズ孤児の支援を行うなど、その後の慈善活動につながる日々を過ごしている。

スポットライトを浴びての生活


ハリー王子の人生に、メディアの注目はつきものだった。

英タブロイド紙ニュース・オブ・ザ・ワールド(現在は廃刊)は2002年、「ハリー、薬物使用の不名誉」という見出しで、ハリー王子が大麻を吸引したため、父チャールズ皇太子に罰としてリハビリ施設に送られたと報じた。

王室のセントジェイムズ宮殿はこの時、当時17歳だったハリー王子が「何回か薬物を試したことがある」ことを認めた一方、「常習」はしていなかったと説明した。

また、20歳だった2004年には、ナイトクラブの外でカメラマンと小競り合いを起こした。

王室の報道官は、カメラマンが「周りに押し寄せた」時にハリー王子がカメラを押しのけ、「カメラマンの1人が唇を切ったと理解している」と説明した。


さらにその翌年には、仮装パーティーでナチスドイツの制服を着たハリー王子の写真が公開され、強い非難を呼んだ。

チャールズ皇太子の公務を取りまとめる王室クラレンスハウスはその後、王子がこの件で「不快に思った人、いたたまれない思いをした人」に謝罪し、仮装が「ひどい選択だった」ことに気づいたと発表した。

2009年には、所属する陸軍小隊のアジア系兵士について、攻撃的な言葉で説明している様子を撮影した動画が流出した。

クラレンスハウスはこの時、「王子は自分の発言による被害に心から謝罪している」とした一方、「小隊内の人気者だった兵士のあだ名として、悪意なくこの言葉を使った」と説明した。

一方で、2012年のロンドン五輪でオリンピック大使を務めた際には、以前よりも好意的な報道が多かった。

この年はエリザベス女王の即位60周年に当たり、カメラの前に立つことも多かった。また、初の単独公務として、ベリーズ、バハマ諸島、ブラジル、ジャマイカを歴訪した。

しかし8月には、米ラスヴェガスのホテルの一室で、若い女性と裸で映っている写真が流出した。

米ゴシップサイトTMZや英タブロイド紙サンで公開されたこの写真は、友人との休暇の間に撮られたもので、ハリー王子は「脱衣ビリヤード」を楽しんでいたという。

ハリー王子は後にこの件について、「自分自身を裏切ったと思う」と語った一方、「あの時はプライベートな空間にいたし、そこでは一定のプライバシーがあるべきだ」と指摘している。

しかし、ハリー王子が問題を起こしても、ある程度のことは許されてきた。

未来の国王となる兄ウィリアム王子と比べ、ハリー王子の責任は比較的少ない。エリザベス女王の妹や、チャールズ皇太子の弟妹と同様、ハリー王子は「王位継承者の予備」であり、王位からは遠い世界にいる。

そのため、無分別な真似をしても、国民からの評価が失墜するということもほとんどなかった。

またその立場ゆえ、より自由に動けるということもあっただろう。たとえば、ハリー王子は陸軍士官としてアフガニスタンに派遣されたが、安全上の理由からウィリアム王子に同じことは認められなかったに違いない。

軍隊と慈善活動


ハリー王子は10年間従軍し、紛争地帯にも派遣された。イギリスの王族が紛争地帯へ派遣されるのは、25年以上なかったことだという。

2007年には、「受け入れられないリスク」を理由にイラク派遣を認められなかったが、翌2008年には10週間、アフガニスタンに派遣された。

2012年9月~2013年1月にも、戦闘用ヘリ「アパッチ」の操縦士としてアフガニスタンに戻った。この年の7月にはアパッチの司令官に任命された。

この時は、タリバン戦闘員をヘリから殺害する任務にも当たった。

2015年に除隊を発表したときには、軍での生活は「今後の人生にずっと影響を与えるだろう」と話した。

これは、後のハリー王子の慈善活動にも影響している。ハリー王子の活動の多くは、退役軍人の支援やメンタルヘルス(心の健康)に関わるものだ。

これまでの慈善活動で特筆すべきは、2014年に創設した国際スポーツ大会「インヴィクタス・ゲームズ」だろう。

負傷した退役軍人のためのパラリンピックとも言えるこの大会は、これまでにロンドンや米オーランド、トロント、シドニーで開催されている。

また、負傷した退役軍人向けの就職支援を行う団体も支援している。

このほか、アフリカでの数々の自然保護プロジェクトや、レソトの王族と共同創設したHIV感染児童の支援団体「サンタバリー」などを支援している。

ダイアナ元妃が生前行っていたエイズの影響を受けた子どもたちへの支援や、地雷撤去活動にも力を入れている。

ダイアナ元妃は1997年、アンゴラの地雷原を歩いて地雷問題への世界の関心を集めた。

この年の12月には対人地雷禁止条約が締結されたが、ダイアナ元妃自身はこうした自身の活動の影響を見ることなく、交通事故で亡くなっている。

しかし、ハリー王子は2019年9月、母親が歩いた地雷原を訪れて自分も歩き、母親の功績を称えた。

古傷に立ち向かう

ハリー王子はここ数年、母親の死を受け入れるためにカウンセリングを受けている。

2011年4月にウィリアム王子の結婚式でベストマン(新郎の付添人)を務めて以来、その場に母親がいなかったことがどれだけ辛かったか、何度も口にしてきた。

BBCが2016年に行った取材でハリー王子は、母ダイアナ元妃の事故死について、28歳まで口にしたことがなかったのを後悔していると述べた。

また、母親と最後に交わした電話があまりに短かったことを「一生後悔するだろう」と話しているほか、自分ガ受けた「楽しい」子育てについても、「母は根っからの子供だった」と語っている。

ハリー王子はウィリアム王子と妻キャサリン妃と共に、メンタルヘルス患者への支援を行なっており、精神医療慈善団体の横断組織として「ヘッズ・トゥゲザー」と共同で立ち上げた。

「すてきな驚き」


世界で最も有名な独身男性の1人として、ハリー王子の恋愛関係も、長年大きな注目を集めた。

米女優メガン・マークルさんとの交際を発表したのは2016年後半。この時すでに、マークルさんを追い回すジャーナリストらに対する非難の声明を発表している。

ハリー王子はこの時、「うその話を紙面から排除し続けるため、毎晩、法的な戦いに明け暮れている」と説明。記者やカメラマンがマークルさんの自宅に立ち入ろうとしたり、マークルさんの家族や友人などほぼ全てに「集中攻撃」を浴びせていると批判した。

2人は共通の友人を通じたブラインドデート(知らない相手といきなりデートすること)で知り合った。2回のデートの後、2人は休暇を使ってボツワナを旅した。

2017年9月、マークルさんは米誌ヴァニティー・フェアの取材で、自分たちは「とても幸せで愛し合っている2人」だと説明している。

また、婚約が発表された同年11月のインタビューでハリー王子は、友人から紹介されるまでマークルさんのことを知らず、彼女との出会いは「すてきな驚きだった」と語っている。

ハリーは婚約指輪を自らデザインし、母親の宝石コレクションからダイヤモンドを2つ使った。

ハリー王子とマークルさんは2018年5月、ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で結婚式を挙げ、サセックス公爵夫妻となった。

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同年10月には2人での初の公務としてオーストラリアを訪問し、そこで第1子が生まれる予定だと発表した。この時、夫妻は「個人的な喜び」を共有したいと語った。

長男アーチーちゃんは2019年5月6日に誕生した。


次のチャプターへ

ハリー王子にとって2019年は、良いことも悪いこともあるジェットコースターのような1年だった。

これまでハリー王子とメガン妃の公務は、ケンブリッジ公爵夫妻と共にケンジントン宮殿が取りまとめていたが、この年の3月にケンジントン宮殿から離脱。

4月にはサセックス公爵夫妻としてのインスタグラム・アカウントを作成し、5時間45分で100万人のフォロワーを集め、新記録を打ち立てた。

また、5月に一児の父となった数日後には、ヘリコプターからコッツウォルズの邸宅の写真撮影を試みたパパラッチから、謝罪と損害賠償を受け取っている。

6月には、ケンブリッジ公爵夫妻と共同で支援していた慈善団体を切り離すと発表。ウィリアム王子とハリー王子の不仲が取りざたされた。


9月末に行った10日間のアフリカ訪問の滑り出しは順調だった。

ハリー王子は、これまで大切に関わってきた諸問題についての理解を訴えた。また、夫妻は反アパルトヘイト活動家のデズモンド・トゥトゥ大主教と会談し、アーチーちゃんを紹介した。

しかしこの訪問中、メガン妃は個人的な手紙を不法に掲載したとして、英タブロイド紙「メイル・オン・サンデー」を提訴した。

公式ウェブサイトに掲載した声明でハリー王子は、アフリカ訪問に対する「前向きな」記事は、「過去9カ月にわたってほぼ毎日、公爵夫人を中傷し続けてきた報道陣のダブルスタンダード」だと非難した。

また、アフリカ訪問中に撮影された民放ITVのドキュメンタリーで、メガン妃は王室での生活に慣れるのが大変だと告白。ハリー王子も、自身の心の健康について「こまめな管理」が必要になっていると語った。

ハリー王子が今後も慈善活動を続けることは間違いない。バッキンガム宮殿も、ハリー王子とメガン妃が慈善団体への「個人的なパトロンや関係」を続けていくと発表している。

しかし、それ以外の彼の未来については、メガン妃やアーチーちゃんと具体的にどこで暮らすのかさえ、現時点では不透明だ。

(英語記事 The party prince who carved his own path