結論から言えば小池氏の指摘は正しい。「ヘイト」という表現は、「ヘイトスピーチ」という言葉を短縮したものとして日本社会に広まっていった。周知のように「ヘイトスピーチ」とは、端的に言ってマイノリティに対する差別の煽動である。

 しかし、小池氏が選挙広告を批判する際に使った「ヘイト」とは、文字通り共産党に対する「憎しみ」を選挙広告に見たのだろう。

 第二に、京都の有権者=住民に対する侮辱である。蜷川府政については先ほど触れた。小さな個人的体験を紹介したい。私は1970年に京都の公立高校を卒業した。その前年のことだ。蜷川府政の特徴の一つは住民が自ら行動して要求した課題に予算をつけることである。

 私たち高校3年生の有志は、卒業を前にして食堂建設運動を行い、在校生の8割から署名を集めることができた。その結果、京都府は食堂建設のための予算をつけてくれた。公立高校で初めて食堂を設置することができたのである。「憲法を暮らしのなかに生かそう」――蜷川府政が掲げたスローガンの精神は、住民が自らの権利を実現するために、自ら行動することを求める生きた民主主義であった。

 こうしたかつての京都府政に対しても「独善だ」とするイデオロギッシュな攻撃が常にあったが、それは住民や有権者に民主主義を根づかせる重要な機能を全面的に批判するものである。憲法をはじめとする様々な理念は、世界史の中の人間集団の多大な犠牲も含めた具体的営みを基礎として概念化されたものである。

 行政は住民の暮らしに理念を生かすことが目的でなければならない。政党はそれを実現させる媒体であって、何党であろうとも行動の基本としなければならない。門川陣営の選挙広告は、政党の役割に無理解があるのだ。

 最後に一言。門川陣営の広告には、門川氏の推薦人が顔写真付きで名前を連ねていた。ところが多くの推薦人は本人が知らないうちにこの広告に掲載されたのである。

 たとえば映画監督の中島貞夫氏は「推薦人は了承していたが、広告の掲載や文は聞いていない。共産党だからNOだとか排他するような考え方は間違い」と京都新聞の取材に語った。
京都市長選の街頭演説で政策を訴える門川大作氏=2020年1月、京都市下京区
京都市長選の街頭演説で政策を訴える門川大作氏=2020年1月、京都市下京区
 また、日本画家の千住博氏は、自身のホームページで「特定の党を排他するようなネガティブキャンペーンには反対」と述べた。放送作家の小山薫堂氏の事務所もネットで「事前の説明も了承もなかった」としている。

 謀略的な手法には、謀略的な内容が伴うものだ。門川氏が勝利をしても、その選挙の内実において反時代的なものである限り、道義的には敗北だと指摘されても仕方ないだろう。フェアプレー精神の完璧な欠如である。