1946年1月5日に三笠宮崇仁親王の長男として生まれ、その容貌から「ヒゲの殿下」との愛称で親しまれていた。その寛仁親王が1982年4月24日、「身障者問題など社会活動に専念したい」との理由から、皇籍離脱の希望を宮内庁に申し出ていることが明らかとなり、大きな問題となった(朝日新聞、1982年4月24日夕刊など)。

 宮内庁はその希望に対し、「皇室典範上、親王が自分の意思で皇籍を離脱することは認められていない」として寛仁親王に再考を要請した。当時の鈴木善幸首相も「われわれには何の気配もうかがえなかった」と語り、困惑の態度を示した。

 寛仁親王はそれまでも、ラジオでディスクジョッキーをしたり、随筆などを出版したりと、自由奔放な態度で知られていた。一方で、成年皇族として宮中のさまざまな行事に参加する必要もあり、公的機関の名誉職にも就き、自身がライフワークとする福祉活動でも多忙を極めていた。そして心労が重なり、ダウンして入院したときに「皇籍離脱発言」がなされたのである。

 皇室典範では、第11条に「年齢15年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」との規定がある。ただ、皇族を離脱する規定は確かにあるものの、男性は「王」であって「親王」ではないので、寛仁親王はこれに該当しない。

 第2項で「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」との規定はあるが、これは親王の非行など皇族としての品位が傷つけられたことが想定されたもので、自らの意思による皇籍離脱は考えられていなかった。それは、皇位継承者である親王が減少することを避ける措置だと考えられる。

ニッポン放送「オールナイトニッポン」に特別出演される三笠宮家の長男、寬仁親王殿下=1975年10月
ニッポン放送「オールナイトニッポン」に
特別出演される三笠宮家の長男、
寬仁親王殿下=1975年10月
 そのため、宮内庁内では「皇族であるご自分の立場をもっとわきまえて、冷静に考えていただきたい」「皇籍を離れ一市民となって、これまでのような社会的活動ができるとお考えなのか」との声も上がった。そのため、朝日新聞は「殿下、無理な相談です」との見出しを掲げ、このニュースを報じたのである。

 寛仁親王が「皇籍離脱発言」をした背景には、先に述べたように、皇族として宮中行事に参加しつつライフワークを担うことで多忙になったことのほかに、「宮内庁は宮家をあまり大事にしない」との不満があったからだという。