いくら皇位継承者とはいえ、当時継承順位7位であった寛仁親王は、内廷である皇太子一家(当時)に比して、宮内庁の扱いはかなり軽くなる。宮家の事務を行う人員も少なく、予算も限定されている。

 一方で、皇族としての活動が求められ、自身の制約もある。前年、自衛隊の行事に寛仁親王が参加したときには、象徴天皇制と軍事との関係は避けるべきものとして、宮内庁内で大問題となった。

 自身の思ったことが実現できないという状況は、人間としての尊厳にもかかわる。日本国憲法に規定されている「基本的人権」が皇族には反映されないのか、寛仁親王の「皇籍離脱発言」はそうした問題を突きつけたのである。

 結局、入院中に宮内庁による説得が続けられ、皇室典範の条文解釈上、親王は自らの意思による皇籍離脱ができないとする宮内庁の説明を寛仁親王は受け入れる(朝日新聞、1982年7月1日夕刊など)。

 とはいえ、寛仁親王には不満が残っていたようである。メディアはそうした思いに一定の理解は示しつつも、皇族としての活動の意味についてより考えるように求めた(朝日新聞、1982年7月5日夕刊など)。こうした風潮は、現在のヘンリー王子とメーガン妃への世間やメディアでの反応とも通底しているように見える。

 寛仁親王は皇室典範の条文解釈上、皇籍離脱はできなかった。しかし、逆に言えば、内親王や王、女王であれば、自らの意思に基づき、皇室会議を経て、皇室から離れることができる。
皇居・半蔵門を出られる眞子さまと佳子さま=2019年4月30日午前
皇居・半蔵門を出られる眞子さまと佳子さま=2019年4月30日午前
 例えば、現在で言えば、天皇家の愛子内親王、秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王、三笠宮家の彬子女王、瑤子女王、高円宮家の承子女王が該当する。寛仁親王が提起したような、自らの思ったことが実現できない状況に、今後のこうした皇族が直面したとき、同じような状況がもたらされる可能性もあるのではないか。