橋場日月(歴史研究家、歴史作家)

 『信長公記』の「安土山御天守の次第」で説明されている安土城天主の地下1階(実際には地上だが、基底の石垣部分の内側なのでこう表現しておく)と1階について注目すべきなのは、まず全ての座敷の内が全面に布を貼り付けられ黒漆で固められていることだろう。

 これは本文にもあるように「布張(ぬのばり)」と呼ばれる技法で、壁・天井・梁(はり)から建て付け、調度に至るまで、全ての素地に麻や木綿などの布を漆で張り付けることをいう。本来は木製品の強度を高め、保ちをよくするための技法なのだが、信長はそれを座敷全体に施させた。しかも用いた漆は黒。

 すべて黒漆で固められた漆黒の部屋が出現したのだ。これはいったい何を意味するのだろうか。そこには、これまでの本連載で紹介してきた信長の思想が込められていた。

 陰陽五行(いんようごぎょう)の思想では、黒は水を表す。それを象徴する霊獣は玄武だ。この架空の生物については第12回でも触れたが、亀と蛇が一体化した水の神だ。

 龍・大蛇のパワーによって水を制御し、戦いに勝ち抜いてきた信長にとっては本来欠かせない存在のはずだ。しかし、将軍足利義昭が「元亀」の元号によって亀が主、蛇が従と規定したことを忌避して、信長は義昭追放と同時に「天正」への改元を実行している。

 それから6年、彼は義昭から取りあげた玄武をようやく完全に自分のものとしたことになる。そして、「玄武=黒=水」が象徴する自分の精神の根底を具現化してみせたのだ。

 ちなみに、『信長公記』の作者、太田牛一による『安土日記』には「御殿(天)守は七重、悉(ことごと)く黒漆なり」と書かれているので、これは地上1階だけでなく6層すべてが同じ世界観で統一されていたと考えられる。ちなみに、座敷内だけでなく外に面する柱や狭間戸(窓の扉)なども同様の技法で真っ黒にされていた。

 さて、その黒い世界の内、1階西側の12畳敷き座敷には、狩野永徳により梅の墨絵が描かれていた。「下から上までことごとく金」とあるのが墨絵と矛盾するとの説もあるが、「御絵所」という説明がついているので、これは漆黒の部屋の中で障壁画が飾られる場所、つまり絵のある襖(ふすま)や屏風、壁の一角だけが上下金箔(きんぱく)貼りで、その上から墨絵が描かれていたと考えるべきだろう。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 その隣の部屋は書院で、ここには「遠寺晩鐘(えんじばんしょう)」の絵があり、その前に「ぼんさん」が置かれている。ぼんさんは「盆山」と書く。庭園に人工的にこしらえた盛り土・石積みの築山(つきやま)を指すこともあるが、ここでは水面に見立てたお盆の上に石を置き、それに苔や小さい木を植え付けることによって、島を表現したものをそう呼んでいる。