清義明(フリーライター)

 横須賀の夜が変わりつつあると聞く。夜の街から米兵がいなくなっているというのだ。

 「私がこのドブ板通りに来たのは、この深夜外出禁止令が始まった後なんで、むしろ深夜に米兵がいるドブ板を知らないんですよね」

 横須賀にある米兵向けの「ドブ板通り商店街」で、老舗として知られるバー「ROCK CITY」のバーテンダーはこう語ってくれた。

 国道16号線をはさんで米軍基地の建物がある別の米兵向けバーでも聞いてみるが、「深夜の飲酒規制と外出禁止令がいつ終わるかは分からないが、このままずっと続いてしまうのではないかとも思っている」とあきらめ顔だ。

 原因は米兵の深夜の外出禁止令と飲酒規制、いわゆる「リバティー制度」だ。これまで沖縄や横須賀では米兵による犯罪がたびたび起きてきた。それらは女性や未成年が被害者となるものが多かった。

 駐留米軍と基地問題の賛否を巡る世論への波及を恐れた在日米軍は、その都度、基地の米兵に一時的な深夜外出禁止令を課してきた。しかし、それでも米兵の犯罪は収まらない。

 2006~07年、米空母キティホークの乗組員による殺人事件が連続して発生し、それ以来、米軍は深夜の基地の外での飲酒規制を開始した。

 それでも08年の沖縄県での女子中学生暴行事件、12年には同じく沖縄で米兵2人による集団強姦など痛ましい事件が発生し、さらに16年に元海兵隊員の軍属による日本人女性への強姦殺害事件が起きると、深夜外出禁止令も恒久化されることになった。この規則では深夜の午前0時過ぎには米兵は基地の外での飲酒ができず、さらに午前1時までには基地に戻らなければならない。

どぶ板通りの老舗バー「ROCK-CITY」(筆者提供)
ドブ板通りにある米兵向け老舗バー「ROCK CITY」(筆者提供)
 ここ横須賀も、そして隣り合う横浜も、もともとは港で栄えた街であった。そして、ともに米兵を相手に商売をしていた人たちを戦後から多数かかえていた。今では日本人向けの観光地化で街並みが変わってしまった横浜の中華街も、実は戦後、ずっと米兵や外国人船乗りのための夜の街であった。

 しかし、港町の光景は変わった。これまで大量の貨物は、袋単位や木箱単位で荷下ろしされていたため、多くの人員を必要としていた。のちに、それらが規格化された大型コンテナにとって代わり、鉄道やトラックなどの陸上輸送と直結し、プログラミングされたシステムで効率よく運送されるようになっていった。

 これによって、海上輸送にかかる荷下ろしの人員は劇的に削減され、荷受けの労務者は港町から姿を消すことになる。これは世界中どこの港町でも経験していることであった。イギリスのリバプールやドイツのハンブルグといった、世界の港町が同じように廃れていき、街の様相を変えていった。

 敗戦直後の横須賀では、旧日本海軍の基地をはじめとする各所が米軍に接収され、多数の米兵がたむろする街となった。やがて朝鮮戦争が始まり、その後数年すると長いベトナム戦争が続いた。これらの戦争特需で日本は高度経済成長期の原動力となる経済的恩恵を受けたが、これは横須賀にとってはさらに大きな影響があった。

 横須賀は生死をかけた戦場から戻ってきた兵士が、一時の休暇を過ごす場所となったのだ。そこで求められるものは酒と女。ドブ板通りは「進駐軍」のためのおみやげ物売りと、色とりどりの原色のネオンがきらめく、米兵相手のキャバレーやバー、街娼(がいしょう)たちの街となった。