今村昌平監督の日活映画『豚と軍艦』(1961年公開)はその頃のドブ板通りを舞台にしている。長門裕之演じる、チンピラな主人公の連れ合い女性はもちろん、水商売の娘である。チンピラ長門は、米軍基地から横流しされる米兵の残飯を豚のエサとして商売する暴力団とつるんでいる。

 キャバレーとバーと米兵向けの「スーブニールショップ」(おみやげ物屋)の軒先には、サテン生地に派手な刺しゅうがされた「スカジャン」がこれみよがしにつるされている。長門裕之はそのスカジャンを着て、ドブ板通りを闊歩(かっぽ)する。

 「スカジャン」は、もともとはエキゾチックな東洋の刺しゅうが売り物の米兵向けのみやげだった。今でもドブ板通りでミシンをおいてオリジナルの刺しゅうを入れてくれる「大将ミシンししゅう店」は、その頃に商売を始めた。

 軒先でミシンを動かす2代目店主に聞くと、「今ではコンピューターで縫製する前の生地に刺しゅうするんだけど、ウチはそれはやらないよ」と、当時から使い続けているというミシン越しに語ってくれた。

 「ウチは先代の『人を使うな、使われるな』という教えを守っているけれど、みんなこうやって刺しゅうしているわけじゃないからね」

 刺しゅうの作業を見せてもらうと、確かに手作業でパソコンを使っていない。そういえば数年前、横須賀市の観光プロモーションで、地元選出の小泉進次郎環境大臣が「スカジャン」を着ている姿を見たが、それはどういうわけか横須賀のものではないらしい。

大将ししゅうミシン店。ワッペンの刺繍でも知る人ぞ知る老舗=写真は筆者提供
「大将ししゅうミシン店」。ワッペンの刺しゅうでも知る人ぞ知る老舗(筆者提供)
 ドブ板通りで米軍の払い下げ放出品を売っている「カキタ」は、もともとは米兵相手のスーブニールショップだったようだ。それが朝鮮戦争とベトナム戦争が終わるあたりから米兵が減り、日本人相手にミリタリーを扱うようになったという。店頭には通称「ドッグタグ」というステンレス製の認識票がぶら下がっている。オリジナルで自分のドッグタグがつくれるそうだ。

 このドッグタグは2枚のセットで首からネックレスとしてつるす。兵隊が戦死すると、一枚は遺体に残し、もう一枚は戦死の証明のために同僚や医師が保管する。こんな装備品をわざわざ米兵は買わない。これが商売になるのは、横須賀が観光地化してきたということなのだ。

 横須賀の観光地化の理由には、1971年のドルショック(米ドルの変動相場制への移行)もある。それまで1ドル=360円だったのが急激にドル安に傾き、20年もたつとドルは一時100円を割り込むようになった。ドルの価値は、ドブ板通りの全盛期の4分の1程度にまでなってしまったのだ。米兵が落とすドルもそれだけ価値が下がったわけである。これではやはり米兵向けの商売は立ち行かなくなるだろう。

 最近、ドブ板通りで目立つのは「CHU-HI」と英語で書かれた看板である。米兵向けのスタンディングバーみたいなものである。シングルが500円、ダブルは千円で、店が趣向を凝らして30種類以上のフレーバーで割る。米兵でにぎわう「CHU-HIスタンド」に立ち寄ると、オレンジとバニラをミックスさせたCHU-HIをオススメとして出してくれた。

 アメリカのアイスクリームにそのようなフレーバーがあるらしく、それを再現したそうだ。グラスはプラスチックのカップ。どこでも好きに持ち出していい、ということなのだろう。もちろん、支払いは一杯ずつ支払う「キャッシュオン」である。

 甘いCHU-HIをいただきながら、古い横須賀もドブ板通りも知らないという店のバーテンダーの女性と話していると、ひっきりなしに若い外国人がやってくる。もちろん、皆米兵か軍属の人たちである。ときに隣に日本人女性の姿もある。そしてプラカップのCHU-HIを飲みながら、どこかに消えていく。

 朝鮮戦争の頃からあるという、ドブ板通りの真ん中にあるウナギ屋にも聞いてみると女将が思い出話をしてくれた。

 「昔はキャバレーや女のコのいる店ばかりだったのが、今では本当に減ったわよ。米兵はお金ないから、みんなCHU-HIとか飲んでいるしね。みんな日本ではあんまり飲まないのよ。どっか他の国で飲んできちゃう」。ウナギのかば焼きで、その店のレモンハイを飲んでいる私に自信たっぷりに教えてくれた。「立ちんぼもいなくなったしね」

 ドブ板通りといえば、街娼の女性と米兵目当てにやってくる女性と切っても切れない街だった。米兵目当ての女性は、そろいもそろって皆、黒髪のロングである。それが外国人からエキゾチックで魅惑的な女性にみられる秘訣だ。港の兵士は、酒と女を必要とする。

 そこで無軌道な若者がいれば、さまざまな事件を起こすこともある…というよりも、それはドブ板通りでは日常茶飯事であった。そして相手は米兵である。まるでニューヨークやシカゴやデトロイトのダウンタウンが日本にあるようなものだ。しかし、その環境を別段に不思議だと感じず、なんとかして共存をしようとしてきたのも、この街の人たちである。