「ドブ板に住んでいて、何かいいことがあったかって? そりゃないな」

 ミスタードブ板通りとでも言ったらいいか、横須賀の不良少年がそのまま年をとり、古希を迎えたかのような風貌が印象的な、横須賀ドブ板通り商店街振興組合の越川昌光理事長にも話を聞くが、この質問にはにべもない。

 「米兵にはやられっぱなしだったな。来る日も来る日もシャッターが壊されたとかなんだの、そんな話ばかりだった」

 もちろんそれだけではない。犯罪数は劇的に減ったとはいえ、近年も米兵による犯罪行為は後を絶たない。横須賀における米兵の犯罪は、敗戦後、横須賀に米軍が上陸した8月30日その日から始まっている。進駐軍として兵士が上陸を開始したわずか2時間後、まずは民家に押し入り時計などの金品を奪う事件を起こした。

 そこから2時間後、今度は民家に押し入った米兵により母娘が強姦されるという事件も起きた。連合軍が上陸したこの日、神奈川県内では強姦、傷害、暴行、物品奪取などの事件が202件発生、そのうち192件は横須賀市内のものだったという。上陸からわずか数時間のことである。

 もちろんこれは戦後の混乱の中でのことであり、米軍上陸当日の8月30日に記録されている事件も、警官が拳銃や帯刀をしているのを見つけたそばから戦場で敵兵を武装解除しているつもりなのか、次々と脅して奪っていったというのが大半であった。米兵にとって日本は戦場だったということもあるだろう。しかし、これらの民間人に対する犯罪も続いていった。

 戦後すぐの時代には、そのような米兵の犯罪は日本中いたるところで起きており、そのほとんどは泣き寝入りが実情だった。占領軍は、それら米兵の犯罪を報道することを禁止していた。その後も痛ましい事件は現在に至るまで続いていた。強盗やひったくり、早朝に酔っぱらった兵士による乱暴狼藉、さらには強姦事件や殺人事件。その都度、横須賀市民は抗議の声を米軍に上げてきた。

 「治外法権だからね」と、越川理事長は言う。それは今でも続いている。

深夜のどぶ板通り。迷彩服の憲兵ばかりが目立つ(筆者提供)
深夜のどぶ板通り。迷彩服の憲兵ばかりが目立つ(筆者提供)
 米軍の駐留を法的に根拠づける日米地位協定は、事実上米兵の治外法権を認めているものだ。よって、米兵の犯罪は日本では条件を満たさない限り捜査も裁判もできない。夜のドブ板通りには、SP(憲兵)がバーやレストランにまで入ってきて巡回している。もちろんこれは犯罪抑止に重要なことだが、もっぱらの理由は日本の警察権が米兵に及ばないことが多いからだ。

 それでも横須賀市民はそれに地道な対応をしてきた。なんとか共存はできないものかと、市や県を通じた米軍への陳情を繰り返し、連絡会のようなものをつくったりして、少しずつ関係を築いていった。

 横須賀市民は、これまで基地反対運動をどちらかというと冷ややかな目で見てきた。空母の母港化でも原子力潜水艦の寄港でも、戦前から海軍、戦後は海上自衛隊の街だったこともあり、反戦平和の軍隊アレルギーのようなものは比較的少なかった。経済的に基地に依存しているということもあったし、米軍軍属と個人的な関係がある者も多かった。1970年代、横須賀市の商店街連合会は、原子力潜水艦の寄港が社会問題化する中で、いち早く寄港に賛成する決議を採択している。

 米軍関連のデモや反対運動は横須賀市内でも幾たび繰り返されたが、そのデモに動員される人たちは必ずしも横須賀市民ではなかった。そのため、むしろデモの騒音や交通への影響に批判の声が高まっていった。最近では08年に第七艦隊の空母ジョージ・ワシントンが初めて入港したときも反対運動はあった。しかし、横須賀市民の反応は極めて冷静だった。