平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家)

 元SMAPの中居正広がジャニーズ事務所退所を決め、元メンバー3人の退所以来、久々にSMAPネタでスポーツ紙を賑わせた。ただ、中居が退所して独立するニュースは、遅かれ早かれ報道されるだろうと誰しもその機会をうかがっていただけに驚きはなかったはずだ。

 この時期に公表したことについては、本人曰く、解散から3年という月日と、ジャニーズ事務所前社長のジャニー喜多川さんが亡くなったことを挙げ、さらに記念すべき「インディペンデンスデイ」(独立の日)をオリンピックイヤーとしたという。そして、五輪関連の仕事を新たに立ち上げた「のんびりな会」で受ける最初の大きな仕事としてふさわしいスターティングを試みるとしている。

 冒頭で触れたように、中居の退所に驚きはないが、「さすが中居」との印象を強くしたのが、あの記者会見だろう。会見は中居1人で、会見の仕切りまで自ら行い、ジャニーさんの遺骨まで用意するというサービスぶりに、新型コロナウイルス一色の中で、ニュースの扱いも大きくなったのは間違いない。

 そもそも、中居はジャニーズ事務所の中で、ジャニーさんの夢をほぼ実現したアイドルと言ってよいだろう。『NHK紅白歌合戦』の司会という、狭く高き門を押し開けた初のジャニーズアイドルであり、ジャニーさんの悲願をも叶えた。エンターテインメントのあらゆる分野で数々の金字塔を打ち建ててきたジャニーさんでさえ、実現までかなりの年月を要したのは言うまでもない。

 中居の司会業の有能さは、結果として退所会見に象徴されていたように、セルフプロデュースにも長けた天才的な仕切りと話術が物語っている。その能力こそが、伝説の国民的アイドルとしての「SMAP」の背景にあり、芸能史上稀に見るリーダー像を確立したといえる証左だろう。

 紅白の司会はジャニーさんの悲願であったとはいえ、実は中居自らが司会業を極めたいとジャニーさんに懇願していた。それを二人三脚で確たるものとして成しえたからこそ、退所会見でジャニーさんへの感謝を強調したのだ。

 この二人三脚は見事であるが、やはり評価すべきはジャニーさんの優れた先見として見いだした「中居のリーダー性」である。光GENJIのバックで踊っていた「スケートボーイズ」からSMAPを形成する際、選出したメンバーは中居と木村拓哉(キムタク)の2トップから構成されたが、単なる年長者だからといってリーダーに任命したのではなく、最も適しているとの深い思慮から生まれたものだ。
(イラスト・不思議三十郎)
(イラスト・不思議三十郎)
 バブルが弾けた90年代前半、時はバンドやトレンディ俳優と呼ばれる「アイドル以外」が席巻して人気を博した。その半面、不毛のアイドル期となり光GENJIや男闘呼組、忍者の「少年御三家」から受け継いだSMAPも当初は「今一つ」感がぬぐえず低人気で、ジャニーズの一時代が終わったと思わせる事態でもあった。

 低人気とはいえデビュー曲のCD売り上げは15万枚超で、あくまでも「ジャニーズとしては」の範疇だが、SMAPのデビュー期は懸念を募らせていた。テレビから音楽番組が減り、バラエティが倍増してきた時期とも重なり、「出番」も失われたことからジャニーさんが起死回生策を打ち出したのだ。