杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー)

 「新型肺炎 正しく怖がろう」。こんなタイトルの特設コーナーがNHKの企画ニュースに登場し、特設サイトが作られたのは、まだ日本国内では新型コロナウイルスの感染者が一人も確認されていなかった、ごく初期の段階の話です。中国の湖北省武漢で新型コロナウイルスの感染が発生し、爆発的に拡大していることが国際ニュースとして騒がれ始めた頃です。

 最近のように国内でも全国各地で毎日と言っていいほど新たな感染者が発表され、累積の感染者数が増えていく蔓延期とは違って、まだ海外の話題という段階でした。このときにNHKが打ち出した「正しく怖がろう」というメッセージが、この種のニュースをマスメディアが扱うときの、あるべき姿勢を象徴しているのではないでしょうか。

 姿の見えない得体の知れない脅威に直面したとき、国民は恐怖におののき、パニック状態に陥ります。会員制交流サイト(SNS)やネット上では新型コロナウイルスに関する情報を求める書き込みや、それに答えようとする書き込みが大量に飛び交いますが、誰一人として正確に答えられる人はいないのですから、憶測や思いつきに流れるばかりです。

 国民は素人が書いた感染予想のストーリーや、生半可な知識で書かれたブログなど読みたいとは思いません。新型ウイルスの正体とは何なのか。本当のところ感染力はどれくらいなのか。ずばり日本でも感染が広がるのか。国内に感染が広がった今、自分たちはどうしたらいいのか。知りたいのは確実性の高い情報だけです。そうなると新聞やテレビなど既存のマスメディアの独壇場となります。

 パニックを起こしかけている国民に対してマスメディアが発するべきメッセージは、まず落ち着け、ということです。冷静に今回の武漢発とみられる新型コロナウイルスが、いったいどういうものなのか正確な知識を共有し、対処を考えようではありませんか、という提案です。そこで、まずは今回の新型ウイルスの特徴について、マスメディアは解説します。

 致死率はそんなに高くなく、重症化するケースも高齢者や慢性疾患を持つ人には多いものの、若くて健康な感染者は風邪を引いた程度の症状で自然治癒すること。そばで同じ空気を吸うだけでうつるといった空気感染はせず、濃厚接触や飛沫感染と言われるように、感染者と至近距離で接してせきやくしゃみを浴びたり、感染者のせきやくしゃみで出たウイルスに、手指などが触れてそれを手洗いせずに口や鼻に接したり、といったときに感染するのだということ。

 それが分かれば感染者とすれ違っただけで必ずしもうつるものではないということが理解でき、パニックは少し収まります。また、念入りな正しい手洗いが有効だという知識も共有でき、国民がとりあえずの対処手段をとることができます。石けんを使った正しい手洗い、うがい、せきエチケットなど、誰でもできる具体的な対策を提示して奨励したのです。

 これについては、先の大戦中に竹槍で米軍の爆撃機に立ち向かえる、としていた大本営発表のようだ、と揶揄(やゆ)する人もいました。しかし、ウイルスに対抗する手洗いの有効性は医学的にも、過去のインフルエンザの事例によって証明されています。正しい手洗いについては、しつこいと言われても注意喚起を続けるべきです。
新型コロナウイルスの感染を防ぐため、マスクを着けて通勤する人たち=2020年3月、甲府市のJR甲府駅前(渡辺浩撮影)
新型コロナウイルスの感染を防ぐため、マスクを着けて通勤する人たち=2020年3月、甲府市のJR甲府駅前(渡辺浩撮影)
 そもそも今回の新型コロナウイルスのような事態に際して、マスメディアが考慮しなければならないミッションは、3つあると私は考えています。正確な事実関係の公開、具体策を伴った注意喚起、そして最後に述べますが、ニュースとしてのバランスの確保です。いずれもSNSには不向きな任務で、既存のメディアに期待することになります。

 正確な事実関係の公開といっても、実際には厚生労働省や世界保健機関(WHO)など公的機関の発表や、感染症の医療チームからの情報をニュースソースにしているようでは限界があります。民放のワイドショーは独自取材を行い、民間の医師の話として、なぜか日本はPCR検査をしない、と指摘していました。検査をしていないから、公表感染者数が数百人にとどまっているが、潜在的な感染者数は1万人を超えているという可能性にも触れていました。