これが、新しい学習指導要領から実践されている「考え、議論する道徳」なのだ。そこには正解も不正解もない。「自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」(小学校学習指導要領解説より)ことを目標としている。

 道徳科の成績評価については、達成度などの段階評価は行わず、教諭は、良いところを褒(ほ)める、励ますなどの文章で評価する。これら道徳科における新しい教育プログラムの理念は、他の教科やあらゆる教育活動においても妥当で、学校生活全般を通して各々の活動を補い、深め合い、育成されることが望まれている。

 では、なぜ道徳を学ぶのか? 自分自身を見つめるというプロセスの重要性は従来から変わりないが、道徳が「教科化」された背景には時代の趨勢(すうせい)があるようだ。

 一つは、グローバリズムという世界的な流れだ。国内外問わず異文化の理解や多種多様な他者との関わり方、グローバルなコミュニケーション能力の育成は極めて重要で、子供たちが自らと向き合い多様な価値観に触れることで、時代に即した「多様性に対する多角的なものの考え方」を身につけることが期待されている。

 もう一つは、深刻な「いじめ問題」がある。2012年に発覚した大津市の中学2年の生徒が犠牲となった痛ましい事件は記憶に新しい。翌年、いじめ防止対策推進法が施行されたものの、今もなお悲痛ないじめ問題は後を絶たない。

 この事件を端に、これまで教育課程上の「領域」であったがゆえに、他の教科に振り替えられ道徳の時間が削られるといった問題を含んでいた道徳の「教科化」という動きが一気に加速した。

 これらの背景から、新しい道徳教育というものが急務の課題として検討されたことは十分理解できるが、道徳の教科化については根強い反対意見が多いのも特徴である。

 その理由としては、戦前の教育勅語体制下の「修身」の復活につながるだとか、議論によってむしろ一つの正解へと導き一定の価値観を植え付ける、違う意見を持つことで教室に居づらくなる、いじめを助長するなどの指摘がなされている。

 筆者は知らなかったが、NHKの番組『クローズアップ現代』でも新しい道徳教育を取り上げた内容に大きな反響があったと聞く。新しい道徳教育はそれほどまでに危険なのだろうか。
教育出版の道徳教科書の教材「下町ボブスレー」に掲載された安倍晋三首相の写真
教育出版の道徳教科書の教材「下町ボブスレー」に掲載された安倍晋三首相の写真
 確かに、授業の進め方によっては、多数によって形成される価値観だけが切り取られて、結局は排他的、一方的な道徳感や価値観の押しつけになってしまうといった状況は容易に想像できるし、多様性に対応する能力の育成でありながら、人と違う価値観を孤立させる結果を生じないとまでは言えない。
 
 しかし、筆者が目にした教育現場において、「考え、議論する道徳」自体にそれほど悪い印象はなかった。むしろ、受け身の学習ばかり経験してきた筆者からしてみれば、そういった議論を通じてコミュニケーション能力を育むチャンスが与えられる今の小学生たちをうらやましいとさえ思えた。