有銭無罪、無銭有罪


 朴槿惠氏の「指示」に関して、日本ではしばしば「具体性がない」と言われるが、歴代の韓国大統領の「……よう、すべきだ」式の発言は押しなべて具体性がない。韓国の大統領とは単に行政府の長ではなく、すべての国家機関の上に君臨する存在だから、大原則を述べることが職務なのだ。その大原則に基づいて具体的施策を考え、実行するのが閣僚以下の官僚たちだ。

 大原則が間違っていても、「やり方が悪かったから」「タイミングを失したから」と更迭されるのは閣僚だ(官僚はよほど重大な過失や大規模汚職の発覚でもなければ生き残れる)。大統領は原則論を述べ続けるのだ。

 大統領の発言は、時には政策遂行のうえで絶対の大義名分になる。しかし、産業分野の規制のように受益者がたくさんいて利害が錯綜する部門では、「ギロチンで一気に」と声を張り上げても進んでいかない。

 歴史的な重みを持つ文化に対する改善指示も同様に進まない。

 「『有銭無罪、無銭有罪』のような恥ずかしい話が大韓民国でこれ以上、常用されないように皆さんが先頭に立ってほしい」(「法の日」50周年記念式、13年4月24日)

 大統領がこう演説してからも、警察、検察、裁判所による「有銭無罪」の扱いは次から次に明るみになる。伝統的文化である「司直の腐敗」のほうが強いのだ。

 大統領発言は絶対的権威を持つ。しかし、実際の利害関係や腐敗と汚職が蔓延する社会のなかでは、実効性を貫けない。

 朴槿惠大統領はそうした現状に怒りと焦燥を感じつつも、韓国民の「偉大さと可能性」を信じているようだ。

 「私は韓国経済が進む新しい発展パラダイムに創造経済を提示している。……私たちは優れた“創造DNA”を持った民族だ。……私はその創意の力と情熱を活かして第二の漢江の奇跡を必ず実現する」(「発明の日」記念式典、13年5月16日)
 「韓国民DNAのなかには芸術的感性が豊富であり、血液中に流れる“気”がある国民だ」(文化人との会合、15年2月25日)

 DNAを「ある民族が持つ不変の遺伝子」といった意味で使っているようだ。理系出身者らしからぬ誤用だ。さらにその背後には、「韓国人は世界でも稀な単一民族」(韓国高校用教科書)とする誤った内容の刷り込み教育が蓄積されているのだろう。

 そうした批判はさておき、いま紹介した発言そのものが問題だ。これぞ優生学的選民思想そのものではないか。

日帝=ナチス


 韓国はいま、「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの世界的展開に躍起になっているが、大統領が堂々と語る優生学的選民思想、その選民による奇跡実現の呼びかけこそ、ナチズムそのものではないのか。都合よく改竄したファンタジー史を国民に教え、隣国への敵意を煽る手法もナチスと同質だ。

 「日帝=ナチスだった」とするキャンペーンの下部にあるのが、「旭日旗=戦犯旗=カギ十字旗」のサブ・キャンペーンだ。

 11年のアジアサッカー杯から僅か2年の間に、「旭日旗=戦犯旗」とする国民的認識を醸成した草の根運動、海外で旭日旗に似たデザインを見付けるや一斉にサーバー攻撃を仕掛ける手口……、「君たちこそ現代のナチスだよ」と言わねばなるまい。

 「政治指導者が過去の敵を非難することによって、安っぽい喝采を浴びるのは難しいことではない。しかし、このような挑発は進展ではなく麻痺をもたらす」──米国務省のウェンディ・シャーマン米次官の発言(2月28八日)は、韓国の政権や保守系マスコミにとって大変な衝撃だった。

 青瓦台内部の情報伝達は「突発的な軍事情報」を除いては、極めてスローモーなようだ。公式文書の形式を整えてから「門番三人組」のところに持っていくのだから。

 シャーマン発言は米国時間では27日だったが、韓国の通信社聯合ニュースが配信したのは3月1日、すなわち三・一節の朝だった。おそらく、朴槿惠大統領はシャーマン発言を知らないまま三・一節の演壇に立ち、その足で中東歴訪へと旅立った。

 あとになって、自分が「安っぽい喝采を浴びた政治指導者」になってしまったことを悟り、追い打ちを掛けられるかのように日本の外務省がホームページのなかの韓国紹介欄にあった「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」との表現を削除したことを知った。

大使襲撃事件でも謝罪ナシ


 激しい気性の大統領がどれほど怒ったことか……とは、想像するだけだが。

 さらなる大きな追い討ちがあった。5日午前のリッパート米国大使襲撃事件の発生だ。朴大統領はアラブ首長国連邦(UAE)で事件の報告を受け、次のように述べた。

 「驚きを禁じ得ない。今回の事件は駐韓米国大使に対する身体的な攻撃に留まらず、韓米同盟に対する攻撃であり、決して容認できない」
 「大使の一刻も早い回復を祈り、家族に対しても心よりお見舞い申し上げるとともに、オバマ大統領や米国政府にもお見舞い申し上げる」

3月10日、リッパート駐韓米国大使の退院を受け、米大使館周辺で
韓米同盟の強化を求める保守団体メンバー=ソウル(共同)
 日本大使に投石した前科(判決は執行猶予)を持つ過激派を野放しにしていたこと、会合を主催した国策団体(代表者は大統領側近の一人)がその危険人物をやすやすと大使の近くの席に座らせたこと……韓国側に不手際があったことは明らかだが、大統領は「回復を祈り、お見舞いを申し上げる」とは言っても謝罪の言葉は口にしない。

 大統領に限らない。韓国人は謝罪しない。「謝罪」とは、韓国人にとって一種の“希少価値”と見れば理解しやすい。自分が持っている(発することができる)希少価値は出したくないが、他人(他国)が持っている希少価値は手に入れたい。だから日本に向かっては「謝罪しろ、誠意を見せろ」とばかり叫ぶのだ。

 「韓米同盟に対する攻撃」という規定の仕方は、「テロリストは北の意を受けた人間」という前提があるからだが、「韓国も被害者」という意味が半分込められている。先にも触れたが、“被害者の地位確保”は韓国のお家芸だ。

 保守系紙の中央日報(3月6日)は、「大韓民国に対するテロだ」との社説を掲げた。これはもう半分ではなく、完全に「韓国はテロの被害者」との立場の表明だ。

 韓国当局の不手際もあり、米国大使が顔を切られた。が、これは韓国に対するテロであり、韓国人は実は被害者なのだ──日本で「三百代言」と罵られる人々とて、目を白黒させるような論法だ。

 韓国の大統領は、こんな論法が日常的に闊歩する社会の頂点にいる。その配下にいる官僚だから、たばこ価格を今年1月1日から一挙に2倍に値上げしても「これは増税ではない。国民のための健康対策の一環である」と、恥じらうことなく言えるのだ(朴槿惠氏は「増税せず」を大統領選挙の公約に掲げていた)。